2011-01-01から1年間の記事一覧
例年、新人公演は、大学の夏休みに行われ、それを経て、新人は各アンサンブルへ移っていくことになっていた。 だが、この年は、浅井が引き継いだのがすでに夏休み。 公演準備、稽古期間も考慮され、9月に入ってからの公演ということになった。 そうなると、…
お気に召すまま-1 作:堀江寛/演出:浅井孝一 1980年9月13〜15日。 新人試演会。 Oさんのあとを受けて新人公演の演出を引き受けたのは、2年生の浅井孝一だった。 浅井は九月会のメンバーで、春の公演で九月会が解散をしたことによって、体が空いていた。 …
9月21日、代官山、風土カフェ&バー「山羊に、聞く?」に演出家・鈴木勝秀さんが出演する。舞台表現の可能性を話してくれる。予約は03-6809-0584(16:00 ~ 21:00) 詳細はこちら。 http://yagiii.com/?p=1625「鈴木勝秀(suzukatz.)版、舞台演出。表現の可能…
昨年、川平慈英と『Believer』をやったとき、慈英からニック・ホーンビィ原作の『ぼくのプレミア・ライフ』という映画のDVDを渡された。 原題は『Fever Pitch』。 「スズカツさん、オレ、こういう内容の一人芝居をやりたいんですよね」 さっそく見た。 それ…
次の日、いつものように誰よりも早く稽古場に着いた僕は、アトリエの鍵を開けた。 中に入ると、舞台上にOさんが愛飲していたトリスの空き瓶と、何か白いものがとぐろを巻いている。 得体の知れない邪悪な空気を感じてゾッとしたが、正体を見極めるべく近づい…
そろそろせっかく始めた個人的演劇史の続きを再開することにする。 まだ、早稲田大学演劇研究会に入会した年の春の公演が終わったところだった。 右手親指を切った話が長くなって、それから『CLOUD』関係のことを書いていたので、まったく進行していなかった…
僕は職業欄に「脚本・演出」と書くことが多いが、それは脚本を書いて収入を得ていたからであって、自分自身を作家だと思ったことはない。 僕はストーリーを生み出してはいない。 しかも、芝居においてはストーリーは書かれたものの外にあると考えている。 芝…
www.suzukatz-cloud.comで、『クラウド』の上演台本を無料公開致しました。 suzukatz-cloud.comトップページの「download」をクリックしていただければご覧いただけます。 公演をご覧いただいたみなさまも、やむなく見逃さられたみなさまも、お気軽にお読み…
上演台本の校正もようやく終わり、あとはsuzukatz-cloud.comにアップされるのを待つばかりになりました。 http://www.suzukatz-cloud.com/ それに先行して、序文的なものをここで公開します。 以下のテキストは、上演台本にもついてきますが、ちょっとした予…
稽古最終日につき。 110413 感じるためには知らなければならないと思い込んで生きてきた。しかし、情報は無限にあって、知ることは容易に限界に達する。 110414 このあと生まれてから現在までと同じ時間が経過すると、自分はほぼ間違いなくこの世に存在しな…
昨日で通し稽古は6回目である。 僕は通し稽古が多い演出家だと思う。 かなり早い段階から、シーンをつなげて稽古をする。 役者の中には、もっとディテールをはっきりさせてから流さないと無意味だと考える人もいるとは思う。 納得するまで、シーンをくり返…
この数年、音楽はオリジナルや生演奏でやらせてもらえることが多かったので、選曲の機会は以前に比べて減ってきた。 だが、今回の音楽は選曲である。 これまで選曲をする場合は、すべて自分で選んできた。 というより、作品構成を考えるときにすでに候補曲リ…
作・演出:堀江寛 というわけで、右手にギブスをはめたまま夏へ向けて過ごしていた。 相変わらず授業には出ず、大隈裏に通っていた。 かといって右手が使えないので、完全に戦力外。 そこに、九月会の公演で音響スタッフを頼まれていた鴻上さんからお声がか…
僕は声がいい役者が好きである。 今回も素晴らしい声の持ち主に集まっていただいた。 "声がいい"というのは、明確な基準があるわけではないので、かなりの部分個人の好き嫌いによるところがあるのだと思うが、今回の本読みを聞いていて、舞台監督が「いい声…
今回、「ディック的」という言葉が、まるで一般的に通用しているかのようにセリフの中に出てくる。 「ディック的」という言い方をすることによって、説明を拒否しているわけだ。 不親切だ。 でも、「ディック的」はどうしたって「ディック的」でしかなく、う…
指も治った頃、僕は劇研のエリートスタッフが毎年送り込まれる照明のバイトをすることになった。 場所は、火災で消失した、赤坂見附の今はなきホテル・ニュージャパンの地下にあった高級ナイトクラブ、ニューラテンクォーターである。 ここは、ロバート・ホ…
37歳で『LYNX』再演した後、演劇活動を休止して3年間休んだ。 2001年に『欲望という名の電車』で復帰し、毎回上演台本は作成していたが、40代は演出に専念した。 ジャンルもテイストも、自分でできそうだと思う作品には、すべて手を出した。 その間、オリジ…
3ヶ月経って、ギブスが外された。 問題は、爪の上についているボタンと親指の付け根から生えている金属線だ。 たしか繋がっている…… もう一度手術して外すのか? 医者は、はさみを取り出して、ボタンをちょんと切った。 え? 「ちょっと痛いからね」 医者は…
「ああ、鈴木さん」 手術中に担当医に話しかけられた。 「はい」 「あのね、腱だけじゃなくて、神経も切れてますねえ」 「え?」 「だから、ちょっと長い手術になりますよ」 さらに最悪ヤバイ状況に突入した。 結局、3時間超の手術となり、終わったときは、…
翌日、再び東京女子医大を訪ねた。 もちろん、指は動かない。 「手術しましょう」 血液検査をされ、日時が決められた。 手術当日、手術着に着替えさせられ、脇の下から麻酔を打たれ、テレビや映画でしか見たことなかった、手術室へ入った。 担当医が、僕の指…
舞台後方は、割れた酒瓶だらけだった。 細かくは覚えていない。 とにかく千穐楽が始まる前、そこで割れた酒瓶を素手で握ってしまった。 痛くもなんともなかった。 そこは暗がりだったので、外へ出ると、右手の親指の付け根から、今まで見たこともないほどの…
この作品においても、僕は舞台美術製作と照明の仕込みを手伝った。 本番では舞台下にこもって、小道具出しの仕事についた。 そして、この小道具出しが、この芝居では大変重要な役割を担っていたのだ。 役者は、何度も何度も酒瓶を手にして、決めのセリフのた…
早稲田「新」劇場 構成・演出:大橋宏 2009年に『翻案劇 サロメ』を上演したとき、つぎのようなコメントをパンフレットに書いたので、まずは再録しておく。極私的『サロメ』 実は、僕にとって『サロメ』=オスカー・ワイルドではない。 初めて『サロメ』とい…
今日は月曜日だったか…… 明日から、『CLOUD』の稽古、本格的に開始。
新機劇主宰者の吉澤耕一あやめ(今後あやめさんとだけ記す)さんのお父上は、下北沢にあった吉澤演劇塾の塾頭で、熱海に別荘兼合宿所を所有されていた。 公演片付けが終わった翌日に、新機劇の面々は、そこでアンサンブルメンバーだけで、一泊2日の慰労会を…
芝居が終わると打ち上げがある。 当時劇研の打ち上げは、アトリエで行われた。 客席にする畳を敷き詰め、平台をテーブルがわりにして、その上にホカ弁の惣菜と、差し入れでいただいた日本酒が並ぶ。 乾杯からしばらくはビールがあるが、ほとんどは常温の日本…
早稲田新機劇/大隈講堂裏特設テント 作:鈴木講誌/演出:吉澤耕一 いろいろ前後するが、僕が劇研に入って最初に手伝った芝居である。(1980年4月) 僕が手伝ったのは、舞台装置製作だった。 装置プランナーのS藤さんの指示のもと、ゴザを何枚もを黒く塗ら…
鴻上さんは新しいアンサンブルに第三舞台という名前をつけた。 Aは大/早稲田攻社と名づけた。 いつの時代でも、小劇場の劇団では、少々ふざけた名前をつけるのが主流のような気がする。 記憶は確かではないのだが、第三舞台も「劇団冷蔵庫」だとか、「劇団…
大高さんの下宿で、鴻上さんから新しいアンサンブルの構想を聞かされた。 すでに、『朝日のような夕日をつれて』ではなかったが、オリジナル脚本があった。 「大高の次に声をかけたんだ」 大変光栄だった。 だが、その少し前に僕は、新人公演演出のAと新しい…
新人の夏、僕は右手親指の腱を断裂して、手術を受けたのち右手全体をギブスで固められていた。 ギブスが取れるのは、夏を過ぎる予定であったので、役者としての訓練はもちろん、力仕事もできない状態だった。 そこで、新人公演では舞台監督件音響、というこ…