Oさん2

次の日、いつものように誰よりも早く稽古場に着いた僕は、アトリエの鍵を開けた。
中に入ると、舞台上にOさんが愛飲していたトリスの空き瓶と、何か白いものがとぐろを巻いている。
得体の知れない邪悪な空気を感じてゾッとしたが、正体を見極めるべく近づいた。
それは、長い巻紙に毛筆で綴られたOさんの書き置きであった。
「私は風狂である。この世に存在してはいけないのかもしれない──」
書き出しを読んで、遺書だ!と思った。
ギンズバーグを意識したと思われる、ビート詩のようで意味不明な文章が長々と続いていた。
暗いアトリエの中で、ひとりでそれを読んでいると、具体的ではない恐ろしさが僕を捉えた。
昨夜、誰もいないこのアトリエの舞台上でトリスを飲みながら、この詩のようなものを書き続けていた、Oさんの混乱した意識がアトリエの中に充満しており、僕に襲いかかってくるようなイメージに包まれた。
それはとにかく説明のつかないヤバい感じで、これ以降、僕が何度か経験する早大劇研アトリエ恐怖体験の最初でもあった。
僕は急いでアトリエの外へ出た。
具体的に明るい場所に出たかったのだ。
ちょうどそのとき現れた運営委員の鈴木講誌さんに状況を説明すると、すぐにOさんに電話をしてくれた。
が、誰も出ない。
「とりあえず、Oさんのアパートへ行こう」
講誌さんと僕は、神田川の方にあったOさんのアパートへ向かった。
ドアを開けた途端に、首吊ったOさんを発見したりするんじゃないか……そんな妄想が頭を過る。
「ヤバい……」
電話にはまったく出なかったのに、アパートのドアをノックすると、Oさんは格子のある窓を開けた。
とりあえず、生きていたので安心した。
だが、顔は出さず、講誌さんの説得にもまったく耳を貸さず、ドアの向こうからこうつぶやいた。
「オレはこれから先、スズカツとしか話さないから」
「え!」
「オレはこの部屋から出ない。ここからスズカツに新人公演の演出を伝える。おまえはそれをみんなに伝えて芝居を作れ。スズカツを遠隔操作する」
「……」
その日、運営委員会は、新人公演の演出を別の人間に任せることを決めた。
Oさんは精神科で診察を受けることになったが、その知識をフル稼働させて精神科医をやり込めていたそうだ。
自尊心からくる理想像と現実とのギャップ……いやそんな簡単なことじゃない。
このアトリエには何か「魔」がいて、それがOさんに入り込んだ、そんな気がした。
そしてそれは、僕の潜在意識の中に刻み込まれた。
しばらくして、Oさんは田舎へ帰ったと聞かされた。