改訂版 青衣(ソワレ)の夜/九月会

作・演出:堀江寛
というわけで、右手にギブスをはめたまま夏へ向けて過ごしていた。
相変わらず授業には出ず、大隈裏に通っていた。
かといって右手が使えないので、完全に戦力外。
そこに、九月会の公演で音響スタッフを頼まれていた鴻上さんからお声がかかった。
「スズカツ、選曲手伝ってくれない?」
僕は、大学で演劇を始めるまで、サッカーと音楽で生きていた。
はっきり言って、舞台装置を作ったりするのは苦手だし、照明は言われたものを言われた通りにやるだけの"兵隊"。
そこへ「選曲」というまさに得意分野の仕事を振られたのだ。
「選曲」に関しては、どの先輩にも負けないだけの自信があった。
毎日稽古に通って、家にあるレコードから「これだ!」と思う曲を、次々に録音して持って行った。
もちろん鴻上さんは鴻上さんで選曲してきて、最終的には演出家の堀江さんが決めるわけで、ほとんどがボツにされる(生意気に「センスねえなあ」などと思った)のだが、自分のイメージが選曲を通して鮮明になるのがとても楽しかった。
鴻上さんは、クラフトワークの「人間解体」などを持ってきていたと記憶している。
コンパではディープ・パープルに日本語歌詞をつけて絶叫し、ときには下田逸郎を弾き語ったりするので意外であったが、あとから思うと、テクノ系にもすでに興味を持っていたのだと思う。
僕は、日本語の歌詞の曲を持って来いと言われ、高中正義の「トーキョーレギー」が採用された覚えがある。
芝居のイメージは選曲でかなり左右される。
というより、どういう曲をかけるか、どういうSE(効果音)を選ぶかで、芝居のイメージを定めることができる、と強く思った。
公演中も、音響ブース(もちろん黒ゴザの中)に毎日入って、カセットテープの頭出しなどで鴻上さんをサポートした。
音響オペ(オペレーター:音響操作)もやりたかったが、右手が使えないので、それはかなわなかった。
この公演は、大隈講堂前にテントを無許可で立てたり、ポリティカルな匂いが強く、学生運動華やかなりしころの名残があった。
作・演出の堀江さんは、そういう時代のロマンを強く追い求めていたが、学生演劇、小劇場界の流れはまさに変わろうとしているところだった。
支持者は多くいたし、吉田紀之は九月会を見て劇研に戻ってきたくらいだったが、堀江さんは時代の変化を察知して自ら身を引いて、この公演を最後に九月会を解散した。