2011-01-01から1年間の記事一覧
〆切につきお休みします。
のんびり続けます。
僕が劇研で在籍していたのは、大/早稲田攻社というアンサンブルであった。 旗揚げメンバーである。 春期公演期間を各アンサンブルの公演お手伝いで過ごすと、新人は夏の試演会へ向けて動き出す。 だが、僕の世代は少々特別な事情があって、例年とは違う形を…
劇研の公演は春と秋に行われる。 大きな理由は、テント公演でもアトリエ公演でも、エアコンがないので、夏や冬は、見る方もやる方もキツイということである。 なので、夏休み前にはテントが消え去り、ただのアスファルト広場に戻る。 LRB企画第3回公演『ゴ…
早稲田大隈講堂裏には、サークル部室(長屋)が並ぶスペースがあった。 そこは劇研広場とも呼ばれ、基本的に劇研が公演を行う特設テント(100〜200人の観客を収容できた)が建っていたが、公演と公演の間に、何もないアスファルト広場に戻ることもあった。 …
目をつけた戯曲は、不条理劇の金字塔、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』。 ウラジミールとエストラゴンの二人の主演は、もちろん吉田と岩谷。 ポッツォとラッキーを誰にするかである。 仮に先輩の中から一緒にやってくれる人を探すとすれば、その…
『授業』も『女中たち』同様、ほとんどの時間、教授と生徒の二人で演じられる。 当時、吉田と岩谷はともに所属する大/早稲田攻社、第三舞台で主演をつとめており、早大劇研の二大看板役者であった。 その二人を共演させることができるのはLRB企画だけであっ…
LRB企画は、『女中たち』の無料公演がうまくいったので、すぐに次の公演を準備した。 演目は、ウジェーヌ・イヨネスコ『授業』。 これも3人芝居で、当時渋谷のジアンジアンで金曜日の夜10時から毎週上演されていた不条理劇の傑作の一つ。 僕は、これをLRB企…
僕と岩谷は正反対のタイプだった。 やりたい芝居も目指している方向性もまったく違った。 岩谷は「つかこうへい事務所」「夢の遊眠社」「東京乾電池」「東京ボードビルショー」などの小劇場メジャー派が好みで、風間杜夫がアイドル。 僕は「転形劇場」「旧真…
岩谷は、吉田が一時期劇研に来なくなったころに入会してきた。 その年の春の公演の1本目、早稲田新機劇(遊機械、第三舞台の母体)の『女ひでり』という芝居を見て入ろうと思ったそうだ。 僕は、そのときすでに入会していて、舞台装置を作っていた。 岩谷が…
今はヨシダ朝だが、僕にとってはずっと吉田紀之である。 早稲田で芝居を初めてから12年一緒にやっていた。 誰よりも早く稽古場や劇場に現れ、入念なウォーミングアップを欠かさない。 一日中セリフをつぶやき、思いついたことはすべてメモを取る。 舞台上を…
吉田紀之、現在はヨシダ朝。 名前の確認のために所属事務所の公式ページをのぞいて見ると、開けた途端に吉田の顔がアップで飛び込んできた。 http://www.clioneinc.com/profile/yoshida.html#prof 相変わらず凄いインパクトの顔だ。 一度見たら忘れられない…
舞台は基本的に黒くして、ティッシュペーパーの花をチープに飾り付けた。 舞台下手奥に劇研に古くからある姿見を、メインオブジェとして利用した。 この姿見は、割れてしまったのをテープで張り合わせ、黒塗りの木材仕様の手作りの枠に嵌めこまれていたのだ…
本日、書き仕事、サッカー観戦、ともに多忙につきお休みです。
配役は吉田がソランジュで岩谷がクレール、で、僕が奥様。 稽古の最初の頃は、吉田と岩谷がセリフを合わせているのをただ聞いているだけ。 ときどきプロンプをしてたけど、演出などはまるでしてない。 というより、何をすればいいかがわからなかったのだ。 …
LRB企画の第一弾(最初から何回も公演するつもりだった)に『女中たち』を選んだのは、登場人物が3人であることが一番の理由である。 しかし、3つの役はすべて女役である。 それを男だけでやるというのは、いささか実験的過ぎるかもしれないが、僕たちには…
僕は早稲田大学で第一文学部フランス文学科に在籍していた。 だが、ほとんどの時間を大隈講堂裏の演劇研究会アトリエ、もしくは特設テントで過ごした。 5年在籍して中退したのだが、その5年間のほとんど毎日を演劇研究会でなんらかの演劇活動に関わってい…
早大劇研には毎年20〜30人は入会するが、3年くらいまでにだいたい5人以下になる。 そのかわり残ったものは、かなりの確率でスタッフ、キャストともにプロになる。 同期の男で3年まで残ったのは僕とこの2人だけだった。 女子で残ったのは高泉淳子1人。 …
LRBを始めたのは大学3年のときで、当時僕は照明・音響・舞台監督をこなす"花形"スタッフであるとともに、役者として舞台に立っていた。 だが、演出家になりたい、という願望は強かった。 しかし、劇研で演出をするには、アンサンブルの主宰者にならなければ…
書き仕事の合間に更新しておりまして、系統立って書いていないので、話はいろいろと飛びます。ZAZOUS THEATERをはじめる前に、僕は早大劇研の同期岩谷真哉(故人)と吉田紀之(現、朝)の三人で、LUCKY ROCK BELL企画(以下LRB)という、アンサンブル(早大…
当時も小劇場界はオリジナル全盛だったが、年間6本のオリジナル作品を作るのは至難の業である。 3本が限界。 そこで、あとの3本は別の誰かに作ってもらうことにした。 ただ、当時はギャラなど払えるような経済状態ではないので、「リスクはZAZOUS THEATER…
土曜日は見なければいけない試合が多いのでお休みします。
iMacを購入したあたりで、僕はZAZOUS THEATERの主宰者を辞めて、芝居を3年間休んだ。 ZAZOUS THEATERでの最後の公演は『LYNX』の再演だった。 ちょうど、ZAZOUS THEATERを始めてから十年が経過していた。 ZAZOUS THEATERは劇団ではない。 最初からプロデュ…
最初のiMacはスマートローンで買った。 購入店は横浜駅のビックカメラ。 郵送にかかる時間が待てなくて、バスで持ち帰って、さっそくセッティングを開始した。 ボンダイブルーの例のヤツである。 ちょっとデカイ。 机の上は完全に占領されてしまう。 けど、…
コンピュータデビューは、初代iMacである。 通信機能付きワープロを検討していたのに、初代iMac導入に踏み切ったのは、"見た目"である。 もうどのワープロより、コンピュータより美しかった。 僕の芝居をご覧になった方はわかると思うが、僕にとって"見た目"…
iMac登場前夜は、まだワープロ派とパソコン派に分かれていて、Mac派などはものの数にも入らなかった。 オアシスの機能にも徐々に物足りなさを感じはじめ、周囲にもパソコン使いが現れてきた。 それでも、自分の仕事としては、ほとんどが文書作成であって、多…
次に手に入れたワープロは、友人から1万円で購入した富士通オアシスだった。 ずっとB5サイズでやってきたので、A4サイズに馴染めずに、最初のころはB5サイズで書いていた。 画面はページの半分ぐらい表示することができるようになり、作業は断然ラクになっ…
ワープロで書き始めたのは、『LYNX』の次の作品『古謡』からだから1991年からということになる。 最初に触れたワープロは、ラベルやせいぜいハガキ作成用途のもので、なんと作成画面は1行しか表示されなかった。 それでは文書全体がどうなっているのかは想…
昼前に見ていたテレビ番組で、鈴木慶一さんが「詩を書く場所は?」と質問され、「コンピュータの前」と答えていた。 僕はどう答えるだろう? 「コンピュータの前」であることは間違いない。 それも現在のメインマシーンであるiMacの前だ。 最近は、iBookでは…