Oさん1

そろそろせっかく始めた個人的演劇史の続きを再開することにする。
まだ、早稲田大学演劇研究会に入会した年の春の公演が終わったところだった。
右手親指を切った話が長くなって、それから『CLOUD』関係のことを書いていたので、まったく進行していなかった。
今回は新人公演のちょっと前のことである。

例年であると、新人は春期公演は各アンサンブルのお手伝いをして、その間に劇研の体質に慣れ、続けるか辞めるかの判断をする。
そして残った人間を、運営委員会から指名された、3年生くらいの育成指導係がエチューダーとして稽古に付き合って、夏休みに新人発表会を行い、秋から各アンサンブルに別れて活動していく、というものであった。
ところが、僕が入会した年は、5年生のOさんが新人の面倒を見る、と名乗りを上げ、それには運営委員会も反対できず、Oさんの元に新人は集められた。
Oさんは、「酔いどれ満月〜」の舞台美術・照明を担当したスタッフ専門の人で、政経学部に在籍していた。
本当に秀才で、膨大な読書量を背景に、知識も豊富で、議論になると、誰もかなわなかった。
長髪、顔の大部分を覆うヒゲ、黒縁の眼鏡、ハードアウトドア系の服を着て、必ず皮のカーボーイハットを被り、移動はすべて自転車でしていた。
ある種の奇人である。
僕は数少ないスタッフ候補だったので、特に可愛がられて、照明・舞台美術の個人レッスンをよく受けさせられた。
今でも照明における「色」「影」に関する考え方にはOさんの影響がある。
新人を育成するにはうってつけの人材……だと思われたが、Oさんはこのときすでにアルコール依存症だったのだ。
そのためか虚言癖があり、妄想にも取り憑かれるようになっていた。
現実的ではないエチュードをくり返し、新人の間でも不信感が強まっていった。
ある日、僕はOさんにこんなイニシエーションをされた。
「おまえは血液型がAB型だから、A型のオレの言うことを聞いていると発狂してしまう」
「はい……」
「だから、これからおまえの血液型をA型に変えるイニシエーションを施してやる」
そして、A型の新人3人を正三角形の頂点にそれぞれ置き、その中心に僕がすわれされた。
ピラミッド・パワーを利用するらしい。
僕はOさんにこめかみを押さえられ、数回深呼吸をするよう命じられた。
「これでよし!もう、オレの言うことを全部聞いても大丈夫だ」
僕は即座に運営委員会に訴えた。
Oさんの変化に多くの人が気づいていたが、運営委員会の「厳重注意」でことを収めようとした。
だが、事態はそんなことでは収まらなかった。