『女ひでり -番外地には春の嵐-』1

早稲田新機劇/大隈講堂裏特設テント
作:鈴木講誌/演出:吉澤耕一
いろいろ前後するが、僕が劇研に入って最初に手伝った芝居である。(1980年4月)
僕が手伝ったのは、舞台装置製作だった。
装置プランナーのS藤さんの指示のもと、ゴザを何枚もを黒く塗らされ、細い丸太で壁のようなものを作った。
ゴザを黒く塗るのは、テントの周りを覆う暗幕が足りないので、かわりに黒ゴザを吊るすのである。
どのテント公演でも黒ゴザは登場し、河原乞食的なテント芝居のムードを醸し出していた。
純粋にスタッフだったのは、演出の吉澤耕一あやめさんと今回スタッフに専念のS藤さんの二人だけで、舞台監督の鴻上さんも大高さんも役者メインであったが、特に大高さんは木材加工などが得意で、パネルものを次々と組み立てていた。
照明は、あやめさんがほとんど一人で主に夜間に仕込んでいた。
芝居に劇的な効果を及ぼす照明は、スタッフワークの中でも花形であるかわりに、専門的な知識も必要なので、ほとんどの人がノータッチだった。
僕はそれも手伝った。
おかげでかなり早い段階から、先輩よりも照明に関しては詳しくなれたのだった。
ボロボロの機材ばかりで、漏電しているものもあって、テントの鉄パイプに触れると感電した。
そういうところはガムテープ貼って、とりあえずの処置をするだけだったので、ずっと電流は流れ続けていたのだろう。
帰れないこともしばしばしで、そういうときはそのまま寝袋に入ってテントに泊まったり、大高さんが泊めてくれたりした。
芝居は、オープニングにウェザーリポート「バードランド」が大音量で鳴り響き、そのなかで当時劇研で一番カッコイイと言われていたS水さんが、つばを飛ばしながら長台詞を絶叫した。
活舌はめちゃくちゃだったが、状況劇場小林薫さんもそんな感じだったように思うので、流行りであったようにも思う。
白井晃さんは、S水さんと対角に位置する2枚看板で、これも小林薫根津甚八を擁する状況劇場っぽい有り様だった。
主演のK子さんは魔性系の女性で、S水さん白井さんK子さんの三角関係を軸に芝居は展開した。
鴻上さんと大高さんは、作家の講誌さんと3人組のお気楽肉体労働者の役で、3人とも長髪に無精ひげで、色恋に無関係ながらも明るく生きる、生命力溢れる人間を演じていた。
日照り続きの土地に水脈を探して、水を掘り当てようとつるはしを振り続ける3人の姿は、シラケた世の中でも、希望をなくさず生き続けるのだ、といったメッセージが込められていたように記憶している。
とはいうものの、ストーリーはもうほとんど忘れてしまった。
カーテンコールでは柳ジョージ「同じ時代に」が使われていた。