「想像力駆使型芝居」/『レインマン』(2006/2007年)

「想像力駆使型芝居」

レインマン』は、ロードムービーである。
作品内で経過する時間は、大河ドラマと違ってさほど長くはないが、とにかくシーンがあちこちと移動する。
そのたびに、衣裳は変わる、セットは変わる、主役のチャーリーとレイモンドに絡む登場人物も次々と現れる。
それを、劇場という、時間も空間も限定された中に移築するのは、並大抵のことではない。
難しい。
しかも、二人芝居にできませんか、とプロデューサーはのたまう。
さらに難しくなる。
そのうえで、世界初の舞台化ですから、と煽るのだ。
「〜初」とか、「あまり手を出す人はいない」とか、「難しいでしょうね」という言葉に、僕は滅法弱い。
どうしても手を出したくなる。
引き受けましたとも、もちろん。
そして僕は、上演へ向けて、二つの決断をした。
一つは、映画のエピソードにはこだわらず、底辺に流れているもっとも力強いテーマだけを浮かび上がらせること。
そして、もう一つは、観客の想像力を信頼し、できる限りシンプルな空間を作り上げること。
交渉の末、登場人物は四人にさせていただけ、なんとか書き上げた上演台本は、幸いなことにMGMにも認可され、こうして公演に漕ぎ着けることができた。
想像力に限界はありません。
みなさんの想像力を、目一杯駆使してお楽しみ下さい。

鈴木勝秀(suzukatz.)


レインマン』再演にあたって(2007年)

演劇とは一回性がすべてと言ってもいいジャンルである。
文字の発明とともに戯曲は残せたが、俳優、演出、劇場が変わることによって、作品はまったく違ったものに生まれ変わる。
最近では、ビデオ、DVDなどで作品記録は残せるようになったが、劇場という場で目撃されたものとはどうしても違うことは、演劇ファンなら周知の事実だ。
ゆえに名作と呼ばれる戯曲は何度でも上演・再演され続け、そのたびに新たな感動を生むのである。
では、名作とは何か?
僕はそれを"作品が内包する可能性"だと考える。
可能性があればあるほどいい。
演劇に"完成"はないのである。
僕は、昨年の『レインマン』初演を毎日見た。
あれほど上演台本作りで考え、稽古でいろいろ試したのに、それでも『レインマン』はまだまだ可能性を感じさせてくれた。
そしてそれは、主演のお二人も同じように感じてくださったようだった。
だったらやるしかないでしょう。やらせてください!というわけで、こんなにも早く再演に漕ぎつけることができたのである。

鈴木勝秀(suzukatz.)