2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

右手親指4

3ヶ月経って、ギブスが外された。 問題は、爪の上についているボタンと親指の付け根から生えている金属線だ。 たしか繋がっている…… もう一度手術して外すのか? 医者は、はさみを取り出して、ボタンをちょんと切った。 え? 「ちょっと痛いからね」 医者は…

右手親指3

「ああ、鈴木さん」 手術中に担当医に話しかけられた。 「はい」 「あのね、腱だけじゃなくて、神経も切れてますねえ」 「え?」 「だから、ちょっと長い手術になりますよ」 さらに最悪ヤバイ状況に突入した。 結局、3時間超の手術となり、終わったときは、…

右手親指2

翌日、再び東京女子医大を訪ねた。 もちろん、指は動かない。 「手術しましょう」 血液検査をされ、日時が決められた。 手術当日、手術着に着替えさせられ、脇の下から麻酔を打たれ、テレビや映画でしか見たことなかった、手術室へ入った。 担当医が、僕の指…

右手親指1

舞台後方は、割れた酒瓶だらけだった。 細かくは覚えていない。 とにかく千穐楽が始まる前、そこで割れた酒瓶を素手で握ってしまった。 痛くもなんともなかった。 そこは暗がりだったので、外へ出ると、右手の親指の付け根から、今まで見たこともないほどの…

酔いどれ満月らりぱっぱ2

この作品においても、僕は舞台美術製作と照明の仕込みを手伝った。 本番では舞台下にこもって、小道具出しの仕事についた。 そして、この小道具出しが、この芝居では大変重要な役割を担っていたのだ。 役者は、何度も何度も酒瓶を手にして、決めのセリフのた…

酔いどれ満月らりぱっぱ1

早稲田「新」劇場 構成・演出:大橋宏 2009年に『翻案劇 サロメ』を上演したとき、つぎのようなコメントをパンフレットに書いたので、まずは再録しておく。極私的『サロメ』 実は、僕にとって『サロメ』=オスカー・ワイルドではない。 初めて『サロメ』とい…

お休み

今日は月曜日だったか…… 明日から、『CLOUD』の稽古、本格的に開始。

熱海

新機劇主宰者の吉澤耕一あやめ(今後あやめさんとだけ記す)さんのお父上は、下北沢にあった吉澤演劇塾の塾頭で、熱海に別荘兼合宿所を所有されていた。 公演片付けが終わった翌日に、新機劇の面々は、そこでアンサンブルメンバーだけで、一泊2日の慰労会を…

『女ひでり-番外地には春の嵐-』2

芝居が終わると打ち上げがある。 当時劇研の打ち上げは、アトリエで行われた。 客席にする畳を敷き詰め、平台をテーブルがわりにして、その上にホカ弁の惣菜と、差し入れでいただいた日本酒が並ぶ。 乾杯からしばらくはビールがあるが、ほとんどは常温の日本…

『女ひでり -番外地には春の嵐-』1

早稲田新機劇/大隈講堂裏特設テント 作:鈴木講誌/演出:吉澤耕一 いろいろ前後するが、僕が劇研に入って最初に手伝った芝居である。(1980年4月) 僕が手伝ったのは、舞台装置製作だった。 装置プランナーのS藤さんの指示のもと、ゴザを何枚もを黒く塗ら…

第三舞台と大/早稲田攻社3

鴻上さんは新しいアンサンブルに第三舞台という名前をつけた。 Aは大/早稲田攻社と名づけた。 いつの時代でも、小劇場の劇団では、少々ふざけた名前をつけるのが主流のような気がする。 記憶は確かではないのだが、第三舞台も「劇団冷蔵庫」だとか、「劇団…

第三舞台と大/早稲田攻社2

大高さんの下宿で、鴻上さんから新しいアンサンブルの構想を聞かされた。 すでに、『朝日のような夕日をつれて』ではなかったが、オリジナル脚本があった。 「大高の次に声をかけたんだ」 大変光栄だった。 だが、その少し前に僕は、新人公演演出のAと新しい…

第三舞台と大/早稲田攻社1

新人の夏、僕は右手親指の腱を断裂して、手術を受けたのち右手全体をギブスで固められていた。 ギブスが取れるのは、夏を過ぎる予定であったので、役者としての訓練はもちろん、力仕事もできない状態だった。 そこで、新人公演では舞台監督件音響、というこ…

連休

〆切につきお休みします。

お休み

のんびり続けます。

大/早稲田攻社1

僕が劇研で在籍していたのは、大/早稲田攻社というアンサンブルであった。 旗揚げメンバーである。 春期公演期間を各アンサンブルの公演お手伝いで過ごすと、新人は夏の試演会へ向けて動き出す。 だが、僕の世代は少々特別な事情があって、例年とは違う形を…

ゴドーを待ちながら3 /プラン

劇研の公演は春と秋に行われる。 大きな理由は、テント公演でもアトリエ公演でも、エアコンがないので、夏や冬は、見る方もやる方もキツイということである。 なので、夏休み前にはテントが消え去り、ただのアスファルト広場に戻る。 LRB企画第3回公演『ゴ…

ゴドーを待ちながら2/早稲田大学大隈講堂裏

早稲田大隈講堂裏には、サークル部室(長屋)が並ぶスペースがあった。 そこは劇研広場とも呼ばれ、基本的に劇研が公演を行う特設テント(100〜200人の観客を収容できた)が建っていたが、公演と公演の間に、何もないアスファルト広場に戻ることもあった。 …

ゴドーを待ちながら(準備)

目をつけた戯曲は、不条理劇の金字塔、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』。 ウラジミールとエストラゴンの二人の主演は、もちろん吉田と岩谷。 ポッツォとラッキーを誰にするかである。 仮に先輩の中から一緒にやってくれる人を探すとすれば、その…

授業2

『授業』も『女中たち』同様、ほとんどの時間、教授と生徒の二人で演じられる。 当時、吉田と岩谷はともに所属する大/早稲田攻社、第三舞台で主演をつとめており、早大劇研の二大看板役者であった。 その二人を共演させることができるのはLRB企画だけであっ…

授業1

LRB企画は、『女中たち』の無料公演がうまくいったので、すぐに次の公演を準備した。 演目は、ウジェーヌ・イヨネスコ『授業』。 これも3人芝居で、当時渋谷のジアンジアンで金曜日の夜10時から毎週上演されていた不条理劇の傑作の一つ。 僕は、これをLRB企…

お休み

岩谷真哉2

僕と岩谷は正反対のタイプだった。 やりたい芝居も目指している方向性もまったく違った。 岩谷は「つかこうへい事務所」「夢の遊眠社」「東京乾電池」「東京ボードビルショー」などの小劇場メジャー派が好みで、風間杜夫がアイドル。 僕は「転形劇場」「旧真…

岩谷真哉1

岩谷は、吉田が一時期劇研に来なくなったころに入会してきた。 その年の春の公演の1本目、早稲田新機劇(遊機械、第三舞台の母体)の『女ひでり』という芝居を見て入ろうと思ったそうだ。 僕は、そのときすでに入会していて、舞台装置を作っていた。 岩谷が…

吉田紀之2

今はヨシダ朝だが、僕にとってはずっと吉田紀之である。 早稲田で芝居を初めてから12年一緒にやっていた。 誰よりも早く稽古場や劇場に現れ、入念なウォーミングアップを欠かさない。 一日中セリフをつぶやき、思いついたことはすべてメモを取る。 舞台上を…

吉田紀之1

吉田紀之、現在はヨシダ朝。 名前の確認のために所属事務所の公式ページをのぞいて見ると、開けた途端に吉田の顔がアップで飛び込んできた。 http://www.clioneinc.com/profile/yoshida.html#prof 相変わらず凄いインパクトの顔だ。 一度見たら忘れられない…

女中たち3

舞台は基本的に黒くして、ティッシュペーパーの花をチープに飾り付けた。 舞台下手奥に劇研に古くからある姿見を、メインオブジェとして利用した。 この姿見は、割れてしまったのをテープで張り合わせ、黒塗りの木材仕様の手作りの枠に嵌めこまれていたのだ…

お休み

本日、書き仕事、サッカー観戦、ともに多忙につきお休みです。