熱海

新機劇主宰者の吉澤耕一あやめ(今後あやめさんとだけ記す)さんのお父上は、下北沢にあった吉澤演劇塾の塾頭で、熱海に別荘兼合宿所を所有されていた。
公演片付けが終わった翌日に、新機劇の面々は、そこでアンサンブルメンバーだけで、一泊2日の慰労会を企画していた。
僕は、新機劇に所属していたわけではなかったが、1ヶ月ともに働いたので、特別に参加していいことになった。
先輩に可愛がられることは、小学校のときから得意なのだ。
熱海では、昼間からビールを飲み、男子が買い物に行き、女子が食事を作り、だらだらとした一日を送った。
公演は予想を上回る入りだったし、評判も上々だったので、誰もが達成感と充実感に満たされていた。
公演が終わると、こんな優雅な時間を過ごせるなんて、予想だにしていなかった。
劇研に入ってよかった!と新人の僕は思わされたのである。
もちろん、こんなことはこの公演だけだったのではあるが……
夜、カードゲームをして、負けた鴻上さんが、罰ゲームで裏の山に夏みかんを取りに行かされることになった。
ただ、夏みかんを取ってくるのではない。
真っ暗でかなりコワイし、実際、崖を上ったりするので具体的に危険でもあった。
鴻上さんは、なんとか勘弁してもらおうとしたが、大高さんは容赦しなかった。
「早く行って来いよ。全員分だからな」
なんとなく空気が凍りついたが、あやめさんも大高さんもヘラヘラ笑っていた。
「わかったよ!行けばいいんだろ、行けば!」
戻ってきた時、鴻上さんの手や服に泥がついていた。
「ほら、取ってきたから食えよ!」
鴻上さんは、確実に怒っていたし、顔は泣きそうであった。
しかし、そこで大高さんはさらに追い打ちをかける。
「あ、オレいらないわ」
「!」
この二人は仲悪いのかと思ったくらいだった。
で、とりあえず大高さんの味方になっておいたほうがよさそうだ、とそのとき僕は思ったのであった。
翌日もだらだらして、のろのろと帰宅した。
小田原から小田急で帰る人、そのまま東海道線で帰る人に別れた。
僕は東海道線組だった。
なんていい暮らしなんだろう……
入学して1ヶ月が過ぎていたが、すでに授業にはまったく出ていなかった。
毎日、大学までは行くのだが、大隈講堂裏へ通っていた。