酔いどれ満月らりぱっぱ1

早稲田「新」劇場
構成・演出:大橋宏
2009年に『翻案劇 サロメ』を上演したとき、つぎのようなコメントをパンフレットに書いたので、まずは再録しておく。

極私的『サロメ
実は、僕にとって『サロメ』=オスカー・ワイルドではない。
初めて『サロメ』という戯曲に触れたのは、早稲田大学演劇研究会の新人のとき、当時の早大劇研の中心的アンサンブル(劇団)、"早稲田「新」劇場"の『酔いどれ満月らりぱっぱ』(構成・演出:大橋宏)という作品のスタッフを手伝ったときだった。『酔いどれ満月らりぱっぱ』は"構成芝居"で、そのテキストが『サロメ』だったのである。
そのころ小劇場界はオリジナル至上主義で、既成作品をやるところは少なかった。しかし、オルタナティヴとも言える流れに"構成芝居"があり、僕は当然のようにオルタナティヴ派に惹かれていった。
構成芝居は、僕にぴったりの芝居作りのコンセプトだった。既成作品をテキストとして使用して、サンプリング、カットアップを多用して上演台本を作る。まさにバロウズの手法。小説だろうと映画だろうと自分の好きなテキストを切り刻んで、つなぎ合わせて、足りないところは自分で書いて、まったく別物を作り出す。作家じゃなくても上演台本は作れる!当時の音楽界がサンプラーの登場とともに、楽器を演奏できないリスナーがプレイヤーになっていったのと同じ流れだ。僕は、その作り方に夢中になって、授業にも行かず、毎日毎日アトリエ(稽古場)の暗がりから稽古を眺めていた。
『酔いどれ満月らりぱっぱ』は、大隈講堂裏特設テントで上演された。テントは、状況劇場黒テントなどに代表されるアウトサイダー演劇の象徴であり、早大劇研も劇場を借りずにテント芝居をやることにこだわっていた。テント芝居は劇場を作るところから始まる。作品に合わせて、好きな形に舞台を組めるのだ。そして、火は使う、雨は降る、酒瓶は割りまくるといった無法の数々。さらに音楽は『マック・ザ・ナイフ』をモチーフにしたオリジナル。できあがった作品は、先駆者を意識して書かれた、ほとんどコピーのようなオリジナル芝居をはるかに凌ぐ、何にも似ていないまったくのオリジナルな舞台だった。
もしかしたら、長い年月の経過とともに、僕の頭の中で肥大しているのかもしれない。しかしあの芝居は間違いなく僕に、「演劇では何をやってもいい」そんな考えを植えつけたのだった。
つまり、僕にとって『サロメ』とは『酔いどれ満月らりぱっぱ』であり、『酔いどれ満月らりぱっぱ』は、僕を演劇という表現に向かわせた大きなきっかけとなった作品であるのだ。そして、いつしか『サロメ』は、僕の演劇に対する原初的思いの象徴になった。