岩谷真哉2

僕と岩谷は正反対のタイプだった。
やりたい芝居も目指している方向性もまったく違った。
岩谷は「つかこうへい事務所」「夢の遊眠社」「東京乾電池」「東京ボードビルショー」などの小劇場メジャー派が好みで、風間杜夫がアイドル。
僕は「転形劇場」「旧真空鑑」などのアングラ系に足を運び、ルトガー・ハウアーに入れ込んでいた。
岩谷はRCサクセションやサザンが大のお気に入りで、僕は清水靖晃山下洋輔にハマっていた。
コンパの持ち歌は、岩谷が「雨上がりの夜空に/RCサクセション」で、僕は「つれなのふりや/PANTA」。
岩谷は高校演劇の部長あがりの文系一筋で、僕は体育会系。
一方で、岩谷は感覚系で僕は理屈系。
2年のとき、岩谷は第三舞台の旗揚げに参加し、僕は鴻上さんと大高さんからの誘いを断って大/早稲田攻社の旗揚げを画策した。
岩谷は当初からマスメディアへの進出にも関心が高く、もしあの事故がなかったら、きっとテレビでも映画でも成功していたに違いない。
僕は、アングラにはなりたくなかったが、マスメディアが嫌いで、山下洋輔鈴木慶一のようなあるジャンルでの絶対王者になりたかった。
岩谷を一言で表すと「しなやか」だった。
僕には「しなやか」という言葉は一番似合わない。
だが、なぜか岩谷と僕は最初から気があった。
年中飲みに行ったし、僕の実家にも遊びに来たし、岩谷の下宿にも何度も泊まった。
二人で黒のスリムジーンズをはいて、安いサングラスをかけて歩いた。
金の貸し借りもしたし、もちろん女の子の話もたくさんした。
おたがいに、セコイところもズルイところもみっともないところもさらけ出した。
LRB企画は、とてもいいバランスだった。