早稲田大学第一文学部仏文科

僕は早稲田大学で第一文学部フランス文学科に在籍していた。
だが、ほとんどの時間を大隈講堂裏の演劇研究会アトリエ、もしくは特設テントで過ごした。
5年在籍して中退したのだが、その5年間のほとんど毎日を演劇研究会でなんらかの演劇活動に関わっていた.
だから、大学は本来、学問・研究の場であるはずだが、職業訓練の場としての文句なく機能していたと思うので、両親には金をドブに捨てたと思わないでほしい、とお願いしている。
さて、僕が仏文学科に進んだのは、特にフランス語やフランス文学に強い関心があったわけではなく、劇研にばかりいてほとんど単位が取れなかったので(だから、ほとんどの入会者はやめていく)、進める学科が仏文か東洋哲学くらいしかなかったのである。
早稲田の第一文学部は、専攻に進むのは二年からで、希望学科は一年時の成績によって割り振られる。
当然のことながら、一年時の成績のいい学生から希望学科へ進める。
仏文は、過去においては英文とともに文学部の花形であり、そのためほかの学科とちがって2クラス用意されていた。
だが当時すでに、仏文を出るより、社会科学や人文、さらに演劇科を出たほうが就職に有利で、仏文の半分は単位を取り損なった学生の吹き溜まりであった。
僕は一年で必要な単位はもちろん、専攻にすすむのに許容範囲とされる単位を取得するのでさえ3年かかった(そのうち1年はケガを理由に留年を決めておいたが)。
なので、進める先は仏文か東洋哲学のどちらかしかなく、第二外国語でフランス語を選択していたので、仏文に進むことにしたのだった。
もう少しマシな理由があるとすれば、高校生の頃から、英米文学よりはフランス文学に親しんでいたからかもしれない。
新潮文庫のフランス文学カテゴリーはほとんど読んだ。
だから、ジャン・ジュネの『女中たち』は、『泥棒日記』と並んで、ずっと僕の本棚にあったのだ。