授業1

LRB企画は、『女中たち』の無料公演がうまくいったので、すぐに次の公演を準備した。
演目は、ウジェーヌ・イヨネスコ『授業』。
これも3人芝居で、当時渋谷のジアンジアンで金曜日の夜10時から毎週上演されていた不条理劇の傑作の一つ。
僕は、これをLRB企画でやって、いつかはジアンジアンで公演することを考えた。
同じ劇場で同じ演目を上演して、どっちが面白いか見ていただこう、ってなことである。
ケンカ売ってのか!
血気盛んな若手だったのである。
登場人物は、教授と生徒と女中。
教授=吉田、生徒=岩谷、女中=僕。
吉田の狂気はここで一気に花開く。
生徒は女子であって、岩谷はセーラー服で演じたのだが、これほど完璧に女子高校生に扮装した役者はいないだろう、というほど見事な変身であった。
そして、僕はまたラストを変えることを思いついた。
(よいこのみなさんは決して真似をしてはいけません!)
ラストで、ふたたび教授の犠牲者となる生徒が現れる暗示で芝居は終わるのだが、僕は、教授に殺されてしまったはずの同じ生徒が現れ、不気味に笑っている、という終わらせ方にした。
教授と実はその教授を操っている女中の悪事、そんなことはお見通しなのよ、という生徒の逆転。
閉ざされた空間での安定を破る、外部の新しい人間の登場、世代ヒエラルキーの転倒……そんなことをイメージしていた。
今回も吉田も岩谷も、「いいんじゃない」とあっさり同意してくれた。
問題は、棺桶に入れられた生徒を、どうやって舞台の外へ出すのか、ということであった。
というのも、劇研のアトリエは小劇場のほとんどと同じで、棺桶を運び出せるほどの舞台袖などないし、アトリエのドアそのものを舞台装置として使用していたので、外部に出てもう一度現れるには、棺桶から出て、さらにドアを開けて出ていかなければならなかったのだ。
それはあまりにカッコ悪い。
そこで、棺桶の中に入れるのは、象徴的に学生カバンだけにして、生徒は殺された直後にあえて堂々とドアの外へ出ていくことにした。
その間、ジョン・レノン『LOVE』がずっと流れ続ける。
LYNX』のオープニングの5分ほど、清水靖晃『Washing Brain Machine』が流れ続け、役者は動きだけ、という演出と基本は同じ発想である。