大/早稲田攻社1

僕が劇研で在籍していたのは、大/早稲田攻社というアンサンブルであった。
旗揚げメンバーである。
春期公演期間を各アンサンブルの公演お手伝いで過ごすと、新人は夏の試演会へ向けて動き出す。
だが、僕の世代は少々特別な事情があって、例年とは違う形をとることになった。
というのは、当初新人育成の責任者に起用されていたかたが、病気のため新人公演まで面倒を見られなくなってしまったのである。
そこで急遽、スタッフを専門にやっていた2年生Aさんが引き継ぐことになった。
だが、突然の交代であり、彼には演出経験もなかったので、劇研の運営委員会は、この年に限って、新人は試演会に参加するか、試演会はパスして、各アンサンブルの秋公演に参加するかを選べることにした。
僕が入会したとき、劇研には「新」劇場と九月会、早稲田新機劇の3つアンサンブルがあった。
「新」劇場と九月会は、主宰者がすでに学生ではなく、「新」劇場は秋公演終了後にプロの劇団として独立することになっていて、新人を受け入れるつもりはない、と宣言していた。
一方、九月会は、春公演終了時点で、解散を発表していた。
主宰者で作・演出家の堀江寛さんは、演劇から足を洗って、僕がのちのち大変お世話になる、照明会社CATでの仕事に専念することにしたとのことだった。
ちなみに新人公演の演出家Aさんは九月会のメンバーだった。
なので、アンサンブルに参加するとなると、旗揚げしたばかりの早稲田新機劇ということになるだが、新機劇には演出の吉沢(あやめ)耕一さんのもとに、白井晃さんをはじめ九月会の主演級が移籍してきたうえに、鴻上さん、大高さんなど力のある若手中堅が揃っていた。
つまり運営委員会は、僕たち新人に、経験不足の演出家と試演会をやるか、アンサンブルで端役をやるか、どちらかを選べ、というのである。
結論として、岩谷と淳子は新機劇に参加することを選び、僕と吉田はその他新人とともに、新人公演に参加することにした。
新人公演には、解散した九月会のメンバーで行き場を失った2年生の役者陣も参加することになった。
この新人公演のメンバーが、大/早稲田攻社へとつながっていくのである。