岩谷真哉1

岩谷は、吉田が一時期劇研に来なくなったころに入会してきた。
その年の春の公演の1本目、早稲田新機劇(遊機械、第三舞台の母体)の『女ひでり』という芝居を見て入ろうと思ったそうだ。
僕は、そのときすでに入会していて、舞台装置を作っていた。
岩谷が入ってきたとき、早稲田「新」劇場の『酔いどれ満月、らりぱっぱ』の稽古中だった。
この『酔いどれ満月、らりぱっぱ』は、オスカー・ワイルドサロメ』をテキストに、大橋宏さんが構成・演出をした作品で、僕の演劇に対する考え方に大きな影響を及ぼした作品である。
いずれ、詳しく書きたいと思っている。
ちなみに、関連記事として、「AARDVARK15のmemo」の方でこんなの↓があります。
http://d.hatena.ne.jp/suzukatz/20091118
『酔いどれ満月、らりぱっぱ』は、舞台下でのスタッフワークがとても大変な芝居で、そのとき新人は僕と高泉淳子の二人しかいなかった。
2年になると、よほどのことがない限り兵隊稼業からは解放されるので、必然的に僕と淳子の二人が舞台下を任されていた。
ところが、問題が発生した。
ラストの演出で、舞台下から火を出せ(消防法無視!)と命じられたのだが、淳子は火炎恐怖症で、ガスコンロにもチャッカマンでようやく点火できるようなヤツだったのだ。
当然、綿にベンジンをかけた燃え盛る火など扱えるわけがない。
そこへ岩谷が入会してきた。
絶対に逃すものか!という勢いで、淳子と二人で、この公演だけは手伝ってくれるように、と岩谷を説得した記憶がある。
だが、岩谷はまったく問題にもせず「いいっすよ」と言って、その後授業にも出ず、毎日劇研に顔を出すようになった。
岩谷は、役者として天才(だから早死しちゃうんだよ!)だったが、このあと僕と一緒に照明のバイトに入ったりして、吉田と違ってスタッフワークも問題なくこなすヤツだった。