吉田紀之2

今はヨシダ朝だが、僕にとってはずっと吉田紀之である。
早稲田で芝居を初めてから12年一緒にやっていた。
誰よりも早く稽古場や劇場に現れ、入念なウォーミングアップを欠かさない。
一日中セリフをつぶやき、思いついたことはすべてメモを取る。
舞台上を歩測して、たとえ完全暗転であっても、どこへでも行かれるようになるまで舞台上を歩き回る。
とても几帳面で律儀で、いい加減さの欠片もない。
常識をきちんと理解し、頭も良く、他人に迷惑をかけるようなことは、まずほとんどやらない。
自分のことを自分でできる個人として自立した素晴らしい人間である。
だが、その内部に狂気を孕んでいる。
そして、僕は吉田の狂気を愛している。
それは恐ろしいほど根が深く、最終的に吉田は社会を必要としない人間なのではないか、との疑いを持つほどなのだが。
『ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン』でロシアンルーレットを仕掛ける吉田は、『ディア・ハンター』のデニーロにも匹敵するほどだった。
『NORD>北へ』で、ストレス解消のために無抵抗の犯人を射殺する刑事の芝居は、今すぐアメリカへ行って、マーティン・スコセッシの映画に出てくれ、と思わせた。
LYNX』のイタバシは、知性と狂気が合わさった吉田だからこそできた役だ。
芝居中のブリッジ部分で、一人でただイスに座り直す芝居をしたのだが、最初観客はそのバカバカしさに笑う。
だが、それを執拗に何度も何度やるので、しだいに笑えなくなり、この男が実は狂っているのではないかと思わせる。
この部分だけでなく、吉田は台本に書かれていない芝居をいくつも作り出し、作品を豊かで深みのあるものにしてくれた。
吉田とはプライベートではほとんど付き合いがなかった。
飲みにも行かないし、遊びにも行かなかった。
一緒にやるのは芝居だけ。
稽古場と劇場以外の吉田は、ほんとうにまったくと言っていいほど知らない。
僕に関して、吉田も同様だと思う。
それでも、多分、今でも吉田が一番僕の頭の中を理解してくれていたのではないかと思っている。
プライベートでの付き合いは、ときに本質を隠したり変質させてしまう。
とにかく僕の演劇人生において、吉田紀之という役者と出会ったのは、本当に大きいことである。
だが、もう十年以上芝居をしていない。
吉田が一人芝居を始めたとき、「もしかしたら、コイツはオレのことを必要としていないのではないか」と思い始めたのを記憶している。