LUCKY ROCK BELL 02

LRBを始めたのは大学3年のときで、当時僕は照明・音響・舞台監督をこなす"花形"スタッフであるとともに、役者として舞台に立っていた。
だが、演出家になりたい、という願望は強かった。
しかし、劇研で演出をするには、アンサンブルの主宰者にならなければならなかった。
早大劇研でアンサンブルを旗揚げするのは、なかなかに難しい。
稽古場、機材、スタッフの数が限られているからだ。

当時のアンサンブルは、遊機械/全自動シアターの前身の新機劇、第三舞台、そして僕が所属していた大/早稲田攻社の3つだった。
劇研ではアンサンブルの上限は3つというとても現実的な不文律があったので、その時点でアンサンブルは作らせてもらえない。
どこかが劇研を出たときがチャンスなのだが、その3つはすべて同年代であって、すぐに枠が空く可能性は非常に薄かった。
それに4年で出て行くと思ったら大間違いで、のちに自分もそうなるのだが、学籍がなくても活動している人はゴロゴロいた。
第三舞台の鴻上さんも劇研5年で幹事長(最高権力者)だったし、その職を引き継いだ僕も同じく5年のときだった。
演出をするためには、何か戦略を考え出す必要があった。
そして、勉強会=LUCKY ROCK BELL企画を思いついた。