『授業』も『女中たち』同様、ほとんどの時間、教授と生徒の二人で演じられる。
当時、吉田と岩谷はともに所属する大/早稲田攻社、第三舞台で主演をつとめており、早大劇研の二大看板役者であった。
その二人を共演させることができるのはLRB企画だけであって、それを演出できる僕は、いきなり贅沢な環境を手に入れることができたのだった。
吉田の殺人鬼としての狂気と幼児のような弱さの二面性は、多くの観客から絶賛された。
岩谷の可憐な女子高生の演技は女子の心を鷲掴みにし、ラストで不敵に笑う魔女への変身に、今度は観客は息を飲んだ。
「照明をプランからやらせてほしい」、と自ら名乗りを上げた小須田は、カクテル光線(いろいろな色を混ぜて白色にした明るい照明)から、芝居の進行に合わせて徐々に色を抜き、最終的に薄暗いむき出しのコンクリートの部屋をリアルに表現することに成功した。
教授が生徒を殺害するクライマックス・シーンのあとにジョン・レノンの『Love 愛』、ラストで再び生徒が戻ってきたところから、やはりジョンの『Isolation 孤独』という音楽の使い方は、僕の演出の原型となった。
劇研の先輩方から、『女中たち』以上のお褒めの言葉をたくさんいただいた。
オリジナル至上主義の劇研で、新劇とは違った切り口で名作戯曲を上演するというプランは、2本目で完全に受け入れられたと感じた。
「ああ、もう傑作ができちゃった」
本当にそう思った。
今すぐジアンジアンで上演しても、オレたちはプロとして通用する。
そんな風にも思った。
大した自信過剰である。
だが、ほとんど吉田と岩谷のおかげではあるのだけど、ここで得た自信によって、僕は演劇を職業にすることができたのだと思っている。
吉田と岩谷のふたりも同じように感じていたのだと思う。
特に岩谷は第三舞台の人気がじわじわと上がってきているところで、第三舞台に専念することが最重要課題だったとは思うが、一方でLRB企画を続けたい、とはっきり宣言していた。
僕は、自分が主宰者ではない大/早稲田攻社をやめて、LRB企画をメインの活動にしたいと考えた。
そのためには、メンバーが吉田、岩谷の二人だけでは活動が限定されてしまう。
そこで、次の公演は、登場人物を増やそうと考えた。