『ヤバくなったら逃げろ!』
自転車のロードレースでは、積極的にレースを引っ張ることを「逃げる=Breakaway」という。
さらに一緒にレースを活性化させるために、先行した選手同士で協力することを「逃げに乗る」という。
そして、一番長く遠くまで「逃げた」選手は、表彰され賞賛される。
自転車レース界では、「逃げ」は積極的行為なのだ。
だが近年、日本では「逃げ」を別の呼び名に変えようとする動きがあるようだ。
それは日本語の「逃げる」という言葉に、ネガティブなイメージがあるためである。
と言うより、日本人の中に「逃げる」という行為が、悪いこととして定着しているからではないだろうか。
逆に、諦めなければいつか夢は実現する!とか言って、「逃げる」ことを抑制する。
その結果、苦しいことを我慢したり、嫌いなことをやり続けたり、いるのがつらい場所から離れられない。
だが、紛争地帯をあげるまでもなく、逃げなきゃ死ぬときもある。
体が死んだらおしまいだが、精神的にも人は死ぬ。
そして逃げずにいるために、精神的に死んでる人はかなりいる。
ダ・ポンテの生涯を調べていて一番強く感じたのは、ダ・ポンテは自分を危うくする状況から逃げ続けたということだ。
逃げの天才。
それも今から200年以上も前に、イタリアの田舎町チェネダに生まれ、ヴェネツィアからウィーン、ウィーンからロンドン、ニューヨークにまで逃げ延び、最終的にニューヨークに30数年も居住しコロンビア大学の教授にまでなったのだ。
行く先々で、イタリアオペラを定着させようと、正攻法、搦め手を問わず精力的に動き回り、同時に女性問題、借金問題を繰り返しても、一向に懲りることのない精神力。
ダ・ポンテの生き様を見ていると、積極的に逃げようよ、という気分になってくる。
ここじゃないどこか──僕はいつもそれを考えている。
本日はご来場、誠にありがとうございます。
で、「ダ・ポンテ!ダ・ポンテ!ダ・ポンテ!」では、みなさんどうぞよろしく。
鈴木勝秀(suzukatz.)