「正攻法」
僕は演劇の一回性にこだわりがあって、創作カンパニーは公演が終わったら、その都度解散するのが望ましいと思っている。
個人的に、創作の継続はあくまで個人の問題なのである。
それに集団の維持はどうにも荷が重すぎる。
そんな僕ではあるのだが、演劇集団 円での演出は今回で4回目である。
どうも肌が合うらしい。
以前の西浅草の稽古場も現在の三鷹の稽古場も、妙に居心地がいい。
二十代の僕が十年間占拠していた早稲田大学演劇研究会と、雰囲気が似通っているからなのかもしれない。
それと取り上げて来た演目にも、共通点が多々ある。
いずれにせよ、僕は演劇集団 円の稽古場へやってくると、芝居を始めた頃の気持ちを思い出すのだ。
「芝居は遊びだ」
そして、稽古場は「仕事場」ではなく「遊び場」であるべきで、それを忘れてはいけない、と演劇を職業にした僕はときどき考えるのである。
さて、今回「遊び場」で、僕は「正攻法」で『夏の夜の夢』に立ち向かう、と言い放った。
では「正攻法」とはなんぞや?俳優陣は、考え込む。
もちろん、芝居における「正攻法」など存在するはずがない。
でも、演出家がそう言ってるので、俳優陣は考えざるを得ない。
しかし、僕が今回稽古場で具体的にやったのは、ソーシャルディスタンスを保つことだけである。
「近い」「離れて」「動くな」「向き合わない」
だが本来、抱き合ったり、掴み合ったり、もつれ合ったり、組んず解れつしながらの演技を、どうやって離れた場所で表現するのか?
俳優陣は新しい表現方法を考え続ける。
これまでの演技のあり方を見直し、検証する。
そして、いつの間にか、これまでと違った遊び方を発見し、稽古場は見事に「遊び場」としてのエネルギーを獲得していくのであった。
演劇に限らず、表現に制限・制約はつきまとう。
感染症対策というような制限・制約はないに越したことはないが、こうなっている現実からは逃れられるわけでもないし、演劇は現在とともになければならない。
だとしたら、この状況ですら前向きに捉えて、ポジティヴなエネルギーを発散するべきである。
そして、それこそが僕たち演劇人が発することのできるメッセージであるはずだ。
本日はご来場、誠に誠に誠に、ありがとうございます。
心より感謝致しております。
鈴木勝秀(suzukatz.)