「箱庭」を作る

 

30代後半に芝居を3年間休んでいる間、僕は心理学の本をかなり読んだ。

何のために読んだかというと、自分によりフィットした演出方法のヒントを見つけるためだった。

そこで、河合隼雄さんの「箱庭療法」に出会った。

それは驚くべき療法で、治療者は何もせず、ただクライエント(心理療法を受ける人)が箱庭を作るのを見ているだけ。

そして、見ているだけでクライエントはどんどん回復していく、というのだ。

河合隼雄さんはすでに故人であるが、日本人として初めてユング研究所でユング派分析家の資格を取得した心理学者で、京大の名誉教授、文化庁長官も勤められた方だ。

インチキ・オカルト教団の教祖ではない。

本格的にアカデミックな方法論の第一人者なのだ。

僕はすっかり「箱庭療法」の虜になって、思いっ切り思考のジャンプをして、稽古を見ているだけで、自分の見たい芝居が作れないものか考え始めた。

そして、詳細はここでは省くが、僕はそれが可能であることを確信した。

それ以来、「見ているだけ」という演出法を実践している。

この演出方法を始めた頃、俳優が舞台という「箱庭」を作るのを見ているのだから、当然僕自身は河合さんの立ち位置──治療者のポジションにいると考えていた。

そして、なるべく俳優が意識的にやっていることではなく、無意識にやっていることを見ようとした。

わかりやすく言えば、俳優の技術に焦点を当てるのではなく、心の動きに焦点を当てる、ということだ。

セリフや段取りを間違えたり、標準語のイントネーションでなかったり、滑舌が悪いことなどは気にせず、心の動きに注目するのだ。

そうすれば同じセリフの間違いも、ただセリフが入っていないのか、それとも無意識にその言葉、言い回しを拒否しているのか──そのどちらなのかがわかる。

毎日だいたい同じ時間に、同じシーンの稽古をすることで、それは見えやすくなる。

それを踏まえて稽古をくり返していくと、戯曲のストーリーとは別の、各俳優の物語が現れてくる。

それをつかまえれば、もうこっちのものである──

ところが、何度かやっているうちに、僕が見ていた物語は、どうも俳優のものではなく、僕自身の物語なのではないか、という疑念が沸き起こってきた。

舞台という「箱庭」には、ほかの誰でもない僕自身が投影されているのだ。

それも無意識の自分。

「オレは治療者のポジションにいたはずなのに、実はクライエントだった?」

まさかの大逆転劇。

さらに続けているうちに、それは絶対間違いないと確信した。

というわけで、僕は何十年もかけて舞台という「箱庭」を作って、自分の無意識と向き合おうとしている。

では、僕がクライエントであるなら、治療者──僕を見ている人はだれなのだ?

 

ウイズ・コロナになってから、リーディングの公演は配信も含め3本やったが、芝居は今回の『YARNS』が最初である。

戦争や災害で劇場がなくなったわけではないし、芝居を作りたいというキャストもスタッフも、そしてこうしてお集まりいただいた観客のみなさんがいる。

決して壊滅的状況ではないし、こんなことで演劇の灯は消えたりしない。

むしろ芝居に対する欲求は、とても高くなっているようにさえ感じている。

しかし、劇場が以前の状態に戻るには、まだしばらく時間がかかる。

一方、この状況だからこそできる演劇的「実験」もある。

そして僕は「実験」が大好きなので、モチベーションはかなり高まっている。

 

本日はご来場、誠に誠に誠に、ありがとうございます。

心より感謝致しております。

鈴木勝秀(suzukatz.)