<2013年8月1日の質問> *貴方にとって「劇場」とはなんですか? 場所としての定義、機能を巡る 考察、ホームとアウェイについてなど、どの角度からでも結構です。

これまた難しいご質問ですねえ。
僕がやったことのある具体的な劇場について、と訊かれれば、それなりに経験の中から語れますが、カギ括弧つきの「劇場」となると、とても抽象性が加わりますからいきなりハードル高しです。
抽象的なことは、できればアカデミックなかたに担当していただきたいわけで……とは言え、こういう公開質問をやろうと持ちかけたのは僕ですから、何とかお答えいたします。

何かをやる人がいて、見る人がいれば、そこは劇場なんだと思います。
寺山修司さんは街や路地を劇場にしてしまったし、古今東西、美術館、博物館、寺院、教会、庭園、世界遺産……あらゆる場所が劇場として使われています。
一般的には「劇場」とか「舞台」という言葉は、具体的な建造物としてよりも、メタファーとして使われることのほうが多いような気もしますね。
マンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム、オールド・トラフォードの客席には「THEATER OF DREAMS」と大書されています。
メトロファルスの『さまよえる楽隊』の歌詞に、「幕ひとつ吊るせば そこはもう舞台さ」というフレーズもあったなあ。
個人的には、表現の場であり、職場でもあり、勉強の場であり、娯楽の場であり、ハレの場であり、非日常の場であり……自分がどう向き合うかで「劇場」の定義は異なります。
でも、これはどんなものに対しても同じことが言えるか。
人はある言葉に対して、どういう立場で向き合うかによって、意味は異なるわけですから。
でもそれでは話が終わってしまうので、演劇を職業としている立場から見るとどうなのかを考えてみます。

大きさ、機構、機材や備品の質と量、音響設計、壁の色……劇場のあらゆることが僕たちの表現に対して制約を加えてきます。
同時に、劇場法、消防法をはじめとする劇場に関連する社会的ルール、劇場が定めた利用のルールというものも制約になります。
そして劇場費は常に予算の大きな枠を占めて、経済的にも圧迫してきます。
しかし制約があるのが演劇という表現です。
制約があるからこそ工夫が生まれ、工夫が技術を向上させ、その結果、表現が進化していくのです。
また、制約があるからこそ、いろいろなことを決定しやすいというのも事実です。
だから僕は、まず劇場に対して肯定的であろうと思っています。

個人的には、劇場をなるべくそのまま使うのが好みです。
PARCO劇場で、舞台上の幕をすべて外し機構を剥き出しにして、ベンチをひとつ置いただけの『動物園物語』のようなやりかたです。
二村くんが手がけてくれた『白野』や『ウエアハウス』、松井るみさんプランの『ダム・ウエイター』などは同じ意味で、すごく好きな舞台美術です。
劇場という構造物そのものが好きなんだと思います。
余談ですが、『ファントム』のとき、梅田芸術劇場のシャンデリアがあまりに素晴らしいので、有名な「シャンデリア落ち」のシーンで「ゆっくりでいいのであのシャンデリアを客の上に下ろしたいんですが」と言ってもちろん断られました。
「では、ラストでファントムがフライングでシャンデリアにぶら下がり、そこで撃たれて、客席に落下するというのはどうでしょう?」
もちろん許可されませんでした。
僕の『ファントム』に「シャンデリア落ち」がないのは、そのためなんです。(嘘)

ところで僕の中には、演出家と作家が同居していて、どちらかと言うと演出家の部分が社会的に開かれていて、作家の部分はかなり内側に閉じているように思います。
基本的に演出家としては、どの劇場であってもその劇場に合う演出方法を考えられると自負しています。
実際に『ラスト・ファイヴ・イアーズ』の初演で、東京ではキャパ200のシアターXで公演したものを、大阪ではキャパ1,900の梅田芸術劇場メインホールでやったことがあります。
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』でも、キャパ400の新宿FACEでツアーをスタートさせ、最終的にはキャパ2,000の新宿厚生年金会館で凱旋公演ということになったこともありました。
ひとつの作品をいろいろな劇場で上演するのは、スタッフにとても負担がかかることですが、演出家としてとても喜ばしいことであります。
ですが作家としての僕は、かなり劇場を選んでいるようです。
実際、オリジナル作品の上演となると、早大劇研の特設テント、今はなき新宿シアタートップス、そして今現在、存続の危機に立たされている青山円形劇場の3つの劇場に集中しています。

劇研のテントは、芝居に合わせて自由に劇場を作る、という感覚です。
もちろん、一般的な劇場と同様に、テントにも様々な制約があることに変わりありませんが、作品に応じて舞台の形、客席の形を作り、実際に公演するところで長期間稽古ができるわけなので、試行錯誤の時期には最高の環境でした。
稽古をしながら、舞台美術、照明の変更などはいくらでも可能でしたし、様々な実験をすることができました。
それを二十代半ばに五年間くらいやれたので、テントで芝居を作れたのは、僕の演劇活動においてとても重要な意味を持っています。

シアタートップスでは、二十代後半から三十代前半(1990年前後)に多くの公演をしました。
ZAZOUS THEATERの旗揚げ公演『モノクローム・ビュー』もトップスです。
トップスは当時新しい劇場で、劇場自体に革新的なムードがありました。
隣の老舗、紀伊國屋ホールに負けるもんか、みたいな雰囲気。
だから、実験的なこと、普通ではやらせてもらえないようなことに対して、劇場側からも「どんどんおやりなさい」と言ってくれる状況でした。
おかげで劇場がどんなものか知らなかった僕は、初めからテントでやったような無茶な使いかたをしました。
きちんと防水もしてないのに雨は降らすし、人が泳げるほどのプールは作るし、天井のわずか数十センチの隙間に劇研の後輩を飼い殺し(客入れ前から客出しまでずっとそこに入れておく)にして照明を動かしたり花を降らせたり、本物のコンクリートで作った装置を持ち込んだり、回り舞台を作ったり......今考えると、よく許可してくださったと感謝の思いでいっぱいです。
ああいうことをやらせていただけたので、僕は自分の世界観を深めていくことができたのだと思います。
若手が育つには、少々反社会的で懐の深い大人の存在が不可欠なんです。

そして、青山円形劇場
円形劇場に砂の舞台を作って、「もうやらないでくださいね」と言われたことはありますが、この劇場で僕がつかんだのは「自由」です。
キッカケは、初めて円形に進出した『LYNX』初演のときにあります。
円形劇場とは言うものの、完全円形で使うのは難しいので基本的に前方後円墳型で使う人が多い、ということを耳にしたので、それならオレは完全円形でやってやろうと思いました。
しかし完全円形でやるとなると、セットで説明することはほとんどできないし、いわゆるプロセニアム型舞台での演出方法は役立たなくなります。
また、どの席からも俳優は近いけれども、席によって違った舞台風景を見ることになる。
場合によっては、俳優の背中だけを何分も見続けることになることもあるのです。
ですから、観客の想像力を信じることができないと、とても不安になります。
その代わり、キャストやスタッフとイメージが共有できて、しかも観客の想像力を信じることができるならば、完全円形舞台はこれまでにない自由を手に入れることができるのです。
なぜなら想像の世界では何でもありですから。
そして、想像力から生み出されるイメージの共有こそが、演劇におけるコミュニケーションの最も素晴らしい形なのです。
円形劇場は、どんな設定でもどんな世界でも飲み込み、それを成立させてくれる劇場だったのです。
構造面では制約だらけの円形劇場で、僕は逆に制約から解放されたように感じたのです。
それはとてつもなく大きな喜びで、「今後オリジナル作品は、円形でしかやらない」と宣言してしまったくらいです。

ところで、劇場でスズカツは何をしているのか?
劇場入りすると、舞台美術、照明、音響、特殊効果、衣装、メイクなど、稽古場では不完全だったものがどんどん完成形となって姿を現します。
ですが、僕自身は具体的な労働は何もしません。
すべてスタッフがやってくれます。
だから劇場入りしてからは、実はあまりすることがありません。
伝えることはすでに伝えてあるし、僕の芝居に関わっているスタッフは、世界基準から見ても多分最高レベルの面々だからです。
それに、各セクションの作業の途中で、僕は基本的に口を出しません。
僕が気づくような不備は、ほとんどのスタッフが気づいて、いつの間にか直してくれます。
ですから、各プランナーが納得いくところまでやってもらって、出来上がるのを待つのです。
稽古場でもそうですが、「待つ」のは演出家の大事な仕事です。
で、僕は待たされるのは嫌いですが、待つのは嫌いじゃないんです。(わかりにくいだろうなあ)
舞台や照明ができ上がっていくのを、客席にすわって眺めているのは、何とも言えない充足感があり、至福のときでもあります。
毎度毎度、こういう時間がずっと続けばいいのになあ、と思うのですが、いつも初日はあっという間にやってきてしまうのでした。
公演中は、できる限り客席から見ます。
それが仕事ですから。
でも、いわゆる「ダメ書き」みたいなことはしません。
できるかぎり記憶するように努めます。
たいてい客席の一番後ろの端っこのほうにいます。

ということで、今回はこれまで。
鈴木勝秀(suzukatz.)