新機劇:『花嫁の夢は横縞のドレス』

花嫁の夢は横縞のドレス
作:鈴木講誌/演出:吉澤耕一
1981年11月。
新機劇秋公演。
この公演時には、すでにニューラテンクォーターで働き始めて1年半ほど経っていたのだが、はっきり言って照明に関してまだまだシロウト同然。
それなのに、あやめさん=吉澤耕一から仰せつかったのは、照明プランと本番オペという大役であった。
アトリエの200Vの2層交流電源を公演会場の特設テントまで引っ張って、単独フェーダーが6本あるT-6という調光器を2台つなぎ、直回路からスライダックというダイヤル式の調光器をやはり2台つないで、指とボールペンとアゴと足を使って照明操作をするのである。
マスターフェーダーがなく単独フェーダーしかないので、一気に暗転したいときなどは、ボールペンを使って6本のフェーダーを操作するのだ。
アゴは、両手がふさがってるとき、足は両手がふさがっているときにスライダックを操作するために使った。
当時はガリ版刷りの台本で、黒ゴザ(ゴザを黒く塗った暗幕の替り)で囲われた薄暗く狭いオペ室(イントレ1基分)では、本番中に広げて読むことなどできない。
なので、オペシート(きっかけ表)は作るものの、基本は芝居を覚え、きっかけをすべて頭に入れるのである。
そのため、びっちり稽古につき合った。
おかげで、当時から天才と呼ばれていた、あやめさんの照明を実地で教えてもらうことができた。
これは本当に貴重な体験で、倉本泰史が現れるまで、僕は自分の芝居の照明プランを自分で立てることができた。
舞台照明の基本はすべてあやめさんから学んだと言っても過言ではないのである。
そしてまた、稽古を見続けるということを覚えた。
演出家はあやめさんであるから、僕はずっと稽古場にいても、ただ見ているだけである。
芝居を覚えるために真剣に見る。
だが、同じシーンを何度も稽古したり、うまくできていないシーン、力の足りない役者などを、口出しもせず見ているのは、大変退屈なものである。
実際、最初のころはとても退屈だった。
それでも毎日6〜7時間は稽古しているのだから、時間はたっぷりある。
劇研のアトリエは、舞台にだけ照明を当てて、基本的に演出席は暗くして稽古しているので、別の本を読むこともできない。
うかうかすると寝てしまいそうでもあった。
どうやったら有効に時間を使うことができるか?これが重要な課題になった。
そこで僕は役者を観察することにした。
クセとか、間違いやすいセリフとかから始まって、いろいろ観察していると、だんだん納得してやっているのか、いやいややっているのか、ということがなんとなくわかるようになってきた。
さらに、セリフの言い方や動きに注意していると、日常生活に比べると、驚くほどセリフとは関係のない、心の声みたいなものが聞こえてくる。
その心の声が役に新たな顔を付け加える。
それは基本的に無意識にやられているので、「意識的な」とか「意図的な」とかいう、当時の劇研で一番重要とされていたものからみると「ダメ」なものが、僕には面白く感じられた。
ダメ出しされてムッとしてるとか、集中を切って本当に笑ってるとか、相手がセリフを間違えたので戸惑ってるとか……「リアル」なのである。
無意識にやっている動きや表情の中に、本質が多くあることになんとなく気づいた。
だが、芝居は公演に向けてどんどん整備され、僕が本質的と感じた部分は見られなくなっていくのだった。
なんだかとてももったいない気がしたが、それが芝居を作ること、役を作ることなのだろうと納得することにした。
舞台美術は、天井からいくつも本物の林檎を針金で引っ掛けて吊るし、それがとても印象的で美しかった。
リンゴを置いただけの『Apple』というオノ・ヨーコの作品を思い出したりした。
この公演では、忘れられない出来事がふたつある。
ひとつは自分のミスである。
11月のテント公演は、如何せん寒い。
なので、僕は稽古中からこっそり電気ストーブをオペ室に持ち込んでいた。
僕は寒さに激しく弱いのである。
なので、芝居が始まったら終演まで使わない客電(客席照明)の回路を抜いて、電気ストーブに差し替えて使っていたのだ。
ところが、いきなり初日にである。
抜いた客電の回路を、なぜかまた差して直回路のスイッチをオンにしてしまった。
演出のあやめさんが、オペ室の横から小さい声ながら激しく「客電!客電!」と言っている。
そのとき僕は、電気ストーブがなかなか暖かくならないので、足元をゴソゴソやっていた。
ようやく事態に気づき、客電を消した。
終演後、電気ストーブはこっそりアトリエに戻し、毎日行われる反省会=和組(わぐみ)のときには、「初日で緊張してしまい、大きなミスを犯しました。すみません!」と謝って、すんなり許された。
ずいぶん後になって、あやめさんには真相をお話ししたが、未だきちんと謝罪できていない方々もいるのである。
いや、本当に申し訳ない!
この場を借りて、謝罪します。
ナメた新人でした。
すみません。
そして、もうひとつの出来事は、当時の劇研で「大隈夫人」として怖れられていた、怪奇現象である。
これは次回あたり、「大隈夫人」の回でまとめて書くことにする。