「大隈夫人」その3,4,5、一挙公開!

「大隈夫人」その3

二度目の遭遇は声だけだったが、どうも大隈夫人はいるらしい、ということが僕の中でも否定しづらくなっていた。
ただ、大隈夫人は四六時中現れるわけではなく、忘れた頃にフッと存在を感じさせるのだ。
しかも、よくある悪霊のように、害をなすわけではない。
ただ、芝居を見ていたり、歌を歌ったりするだけなのだ。
それって、座敷童みたいなものか?
だったら、いてくれても問題ないじゃないか。
それにもし座敷童みたいなものなら、幸運をもたらしてくれるのかもしれない。
そう考えると、大隈夫人の存在はそれほど気にならなくなる。
そして、三回目の遭遇がやってきた。

Lucky Rock Bell企画については以前書いた(「記事一覧」から探してください)ので、そちらをのぞいていただきたいが、そのLRB企画第一回公演のことである。
演目はジャン・ジュネの『女中たち』。
劇研主催の公演ではなく、僕と同期の吉田紀之(ヨシダ朝)、岩谷真哉(故人)の三人で始めた勉強会という名目だったので、稽古場のアトリエは、各アンサンブルの使用時間外に限って使うことが許可されていた。
本番も間近に迫ったその夜、非日常的なテンションを獲得しようと思って、夜中の十二時から通し稽古を敢行することにした。
アトリエはすでに本番用に舞台を組み、客席となる平台も組み終わっていた。
あとはその客席平台の上に畳を敷くだけ。
その畳は稽古後に敷く予定で、客席にいくつかに分けて積み上げられていた。
僕は"奥様"を演じてはいたが、基本的には演出担当だった。
その夜の芝居はとてもいい出来だった。
ラストシーンは、僕の演出で三人とも舞台上にいた。
三人とも満足して舞台を降りた。
そして客席に降り、積み上げられた畳の横を通ったときである......その畳の後ろに赤い服を着た女がうずくまっていた。

僕はかなりの声を上げ、大きく飛び退いた。

「女がいる......」

岩谷も吉田も舞台から降りて来なかった。
大隈夫人のことは、二人ももちろん知っているからだ。
しばらく誰も声を出さなかったし、動かなかった。
五感を総動員して、積み上げられた畳の裏側の気配を感じようとした。
確実に何かいる......三人ともそれを間違いなく感じていた。
その異質な空気が、ある瞬間にフッと解けるように消えた。
呼吸も楽になり、体の緊張が抜けた。
いなくなったのだ。

「いなくなったよな」
「そんな気がする」
「見にきたんだ」

その日の芝居は本当に良かったので、きっと大隈夫人も喜んでくれたのではなかろうか、と思っている。
そしてLRB企画の公演は成功した。
勉強会にもかかわらず、第二回公演をすることもすぐに許可された。
大隈夫人は、やはり幸運をもたらしてくれるのかもしれない。
僕はそんな風に思い始めたのである。
しかし、大隈夫人はそんな簡単な存在ではなかった。

それからしばらく大隈夫人との遭遇はなかった。
僕は大/早稲田攻社の主宰者となり、劇研の幹事長に就任し、劇研の頂点に君臨した。
好き放題に振舞っていた。
劇団をやめて、鈴木勝秀プロデュース=ZAZOUS THEATERへ移行する構想も、僕個人の中で固まりつつあった。
そんな調子に乗りまくっていたとき、大隈夫人は再び現れた。

そのころ僕は、劇研が決めている春、秋の公演以外にも、もっと芝居を作りたかったので、試演会という形で公演を増やした。
試演会は、小規模な公演なので、より実験的なこともできるという利点もあった。
劇団的なヒエラルキーを崩し、若手を主演に抜擢もできる。
ユーモレスク』はそういう意図で企画した公演だった。
稽古は順調に進み、いい感じで本番を迎えられそうなムードだった。
ただ、稽古中に一度不思議な現象が起きた。
芝居のラストで、スーパーコンピュータと自分の脳を直接繋いで、他人の記憶を全部奪おうとした男が人格に破綻をきたす。
その横で主人公の女がアコーデオンで、ゆっくりとユーモレスクを演奏する。
そのときである、フロントに吊っていた、ギャラ(ギャラリーの略だと思われる)と呼ばれていた1kwの照明機材が、突如青い光を発し、パン!という音とともに破裂したのだ。
あまりにもシーンにマッチして劇的で、少し感動したほどである。

「玉(電球)切れか」

もちろん、誰もそれを疑わなかった。

それから数日後、アトリエに舞台が組まれ、照明のプランも固まったので、稽古後に照明を仕込むことにした。
劇研では伝統的に照明は夜中に仕込む。
照明プランナーのプランに基づいて照明機材を吊り込み回路を引き、徹夜で照明を作るのである。
テント公演の場合は、それなりに人数も必要になるが、アトリエ公演の規模だと吊り込みと回路引きさえ終わってしまえば、あとは2〜3人で用は足りる。
このときは、僕がプランナーでもあったので、武藤一郎と新人の藤本浩二の3人で明かり作りをすることにした。
だが、新人の藤本はまだ要領を得ず使い物にならなかったので、早々に部室で寝てるように命じ、武藤と二人でシュートを始めた。

シュートとは、照明を決められた場所に当たるように調整することで、ここが照明の準備段階では最も重要なところである。
なので、僕は劇研時代、自分でプランした照明のシュートは基本的に自分一人でやっていた。
後には、照明のバイトに巻き込んだ池田成志にもやってもらうようにはなったが、シュートはとても重要で妥協できない部分なのである。
どの角度から照明を当てるかで、シーンの意味すら変わってしまう。
全体的に明るく、顔が全部くっきり見えているような照明は、僕にとっては物語がなさ過ぎて好みではない。
照明は影を作る表現なのである。
舞台上にあるもの、俳優をいかに見せるかではなく、いかに見せないか、ということが重要なのだ。
なぜなら、見え過ぎると嘘がバレるのだ。

武藤とシュートを始めてしばらくすると、突然、そのとき点いていた照明全体が、半分ほどの明るさに落ちた。

「暗くするなよ」
「何もしてません」
「マスター下げたんじゃないのか?」
「いえ、何も......」
「じゃあ、また電圧降下かな?」

劇研の主電源は200Vの二層式交流電源で、年がら年中回路を繋いだり外したりをくり返していたので、かなりボロボロになっていた。
専門家はいないし、調べてもらってもいなかったので(今から思うと危険過ぎる!)、詳しいことはわからないが、ときどき電圧が下がったりすることがあった。
もしかしたら、古い調光器のせいだったかもしれないが、とにかく意味不明に暗くなることはそれまでにもあった。
そういうときは、一度暗転にして、もう一度フェーダーを上げると、だいたいちゃんと点いた。

「一回、全部消して、もう一度上げ直してみ」

僕の指示で武藤がその操作をすると、思ったように照明は元通りちゃんと明るく点いた。
と、その直後......僕は人生で最大級とも言っていい恐怖を味わうことになるのだった。

「大隈夫人」その4

それは照明が戻った途端であった。
女の歌声が聞こえてきた。
あの歌声だ、あの......
それから子供の泣き声。
さらに大人の男の怒鳴り声。

「おい、なんだよ、これ......」

僕と武藤が、この怪現象の現実的な理解 ー例えば発情した猫の鳴き声だとかーをする間もなく、今度はアトリエの屋根の上を何人もの人間が走り回っているような音が響き渡った。
それは明らかに物理的に何かが、それも猫のように軽いものではなく、しっかりと重量のあるものが屋根の上を走り回っていると感じられた。
実際にアトリエ全体が振動していた。
僕も武藤も動けなかった。
はっきり言ってすごく恐かった。
この僕がである。
だが、これはまだ始まりに過ぎなかった。
僕たちが天井を見上げて呆然としていると、今度はいきなりアトリエの入口の鉄製の観音扉に丸太が叩きつけられたかのような轟音とともに、内側にゴン!ゴン!と押し開けられそうになった。
まるで巨人が外から鉄扉を押し開けようとしているかのようだった。
現在はもうないあのころのアトリエをご存じの方にはお判りだと思うが、あの鉄扉は内側には開かない。
それに鉄扉には鍵がかかっていた。
だが、何かが入って来そうな勢いで鉄扉は動いた。

「武藤!なんかヤバイ!ドアに鍵かけろ!入って来られたら絶対ヤバイって!」

しかし武藤は恐怖ですくみ上がっていて動けない。
僕は急いで、鉄扉の側にもう一つあるドアに鍵を掛けた。
もうひとつのドアは舞台上手奥にある。
バーン!
そのドアが激しい音とともに開いた!
ドアの向こうは漆黒の闇である。
しかもドアは外開きで、閉めるためにドアノブを摑むには、どうしたって腕をアトリエの外に伸ばさなければならない。
今、ドアを閉めに行ったら、何かに腕を掴まれ、あの闇に引きずり込まれる......ヤバイ、ヤバすぎる!
完全に僕と武藤は恐怖に取り憑かれ、6m足らずの舞台を越えて、奥のドアを閉めに行けなかった。
だが、天井を走り回る音も、鉄扉に体当たりするような音も、一向に止む気配がない。
僕は意を決して舞台に踏み出し、奥のドアへ走り、ドアノブに手を伸ばした。
一瞬、闇の先に目を向けたが、何があるのか、何がいるのか確認する前にドアを閉め、鍵をかけ、武藤がしゃがみ込んでいるアトリエの中央へ駆け戻った。
魔物に周囲を取り巻かれている......そうとしか思えなかった。
情けない話だが、僕と武藤はあまりの恐怖で手を繋いだ。
生命の危険さえ感じていた。
何か確かに生命のあるものに触れていないといられなかったのだ。

「僕たちは社会的弱者なんです、助けてください......」

涙目の武藤が虚空に向って呟いた。
本当にそう言ったのだ。
三十年近く経った今でもはっきり覚えている。

「そのとおりです」

僕は何を言っていいかわからず、間抜けなことを口走った。

「そうだ、お札を取って来よう!」
「でも、お札は部室ですよ、今出るのは危険じゃないですか?」
「だけど、いつまでもここにいるのはマズいだろ。部室に藤本もいるんだし。とにかく脱出しよう」

いったいどれくらい時間が経ったのか見当もつかなかった。
ただ僕には異様に長い時間に感じられた。
外の様子が少し落ち着いたのを見計らって、ドアを開けて外の様子を伺った。
相変わらず得体の知れない呻りは響いていたが、見てはいけないようなものはいなかった。

「今だ!武藤、いくぞ!」

僕と武藤は、アトリエの外へ飛び出した。
よくホラー映画などで、登場人物がどうしてわざわざ危ない方へ行ってしまうのか、と思っていたのだが、人間、ああいう時にはじっとしてはいられないのである。
じっとしていることに我慢できないのだ。
外へ出ても、すぐにテントが迫っていて、鉄パイプや材木が散乱していて走ることができない。
足下に気をつけながら、息を殺してテントの横を過ぎた。
テントに目をやると、風で煽られていたのだろうが、膨らんだり萎んだりしていて、まるで7mもある巨大な生き物が呼吸しているように見えた。

部室に入ると、藤本はベンチに横になって寝ていた。
何事かまったく把握していない藤本を叩き起こして、お札を手に取り、外へ出た。

「とりあえず、明るいところへ行こう」

そんな時間に開いてるのはコンビニしかない。
僕たちはコンビニを目指して走った。
大隈裏の鉄門を出ると、外は何事もなかったかのようにひっそりとしていた。
そして、空が明るくなるまでコンビニいた。

翌日、僕たちが照明をまったく作っていなかったことに、出演者は唖然としていた。
そして、なぜ作れなかったを説明しても、誰も信じてくれなかった。

「大隈夫人?へえ」

そういうものである。
冷静に考えれば、これまでの大隈夫人現象は全部、何らかの論理的説明がつけられるのかもしれない。
あの夜の怪現象にしても、激しい突風、小さな竜巻みたいなものに襲われたと考えるのが妥当な気がする。
女の歌声は、近所のアパートから漏れてきた音楽、子供の泣き声や大人の唸り声は発情した猫、天井を走り回っていたのは強風に巻き上げられた砂や小石が天井を叩いた音、鉄扉やドアを押し開けようとしたのは突風そのもの。
だが、僕にとって、やはりあれは大隈夫人の仕業なのだ。
僕が劇研での日々を過ごす中で、僕の中でいつのまにか成長した大隈夫人という物語なのだ。

幽霊はそれを見た人間の頭の中にいる。

僕の個人的見解と矛盾しない。
だが一方で、あれは果たして大隈夫人の仕業なのか?という疑問が残った。
だいたい、なぜ大隈夫人はいきなりあのようなことをしてきたのか?
大隈夫人は、幸運をもたらしてくれる存在ではなかったのか?
僕は、再び大隈夫人の存在について考えるようになった。

次回、いよいよこの項最終回!
その5に続く。

「大隈夫人」その5、最終回

ここからは僕の個人的な大隈夫人に関する考察なので、実際に起こった事実とは本来関連がないと思っていただきたい。
つまり、僕の妄想、想像の産物である。
フィクションである。
だが、これまで何度もくり返しているように、それは僕にとっては現実であり、僕の人生の中にはっきりと記録されている物語となっているのだ。

大隈夫人はいったい何をしたいのか?
僕はまずそこから考え始めた。
結論としては、劇研や劇団こだまでやられていた芝居を見ることが好きで、それを失いたくないと思っているのではないか、ということである。
その根拠を以下に示す。
僕が知る限り、劇研を卒業する、出て行く劇団には、必ずよろしくない出来事が起こる。
早稲田「新」劇場が出て行くとき、Oさんが精神障害を起こした。
新機劇は出て行くに当たって劇団自体が分裂し、劇団そのものが消滅した。
第三舞台が劇研を去るとき、岩谷が事故死した。
それを全部大隈夫人の呪いと言うのは、いささか不謹慎だし、特に岩谷の事故に対してそんな風に考えることは許されないことであることは重々承知している。
だが、当時、ぼくはそう考えた。
そういう物語を自分の中で作っていた。
なぜなら、次に出て行くのは、僕の番だったからだ。
僕は、一般的にはあり得ないことだが、十年も劇研に居すわった。
多分、歴史上最も長く劇研を利用した人間であろう。
それが新人のときに早くも大隈夫人に遭遇し、その後も一年に一度のペースで何らかの形で遭遇をくり返した。
そして、僕は劇研に君臨し、その場もそこに属する人間も機材もある意味私物化していた。
それは大隈夫人の寵愛を受けたからだ。
なぜ僕は大隈夫人の寵愛を受けたのか?
それは僕が劇研を出て行かないから、僕が大隈夫人の元を去らないと思われたからである。
だが、僕もZAZOUS THEATERを構想し、出て行く準備を始めた。
そのとき、大隈夫人からの警告があった。
それが、あの恐怖の夜である。

大/早稲田攻社を正式に解散し、アンサンブル制度を守らない個人プロデュースユニットのZAZOUS THEATERを始めても、僕は劇研に在籍し続けた。
だが、退会のカウントダウンは始まっていた。
ZAZOUS THEATERの第二回公演『欲望という名の電車』をやるころには、はっきり今年で劇研も最後だな、と意識していた。
それに伴って、よろしくない現象がいくつか起きた。
まず稽古中に、ブランチを演じていた僕が、スタンリー(鳥居賞也)にテーブルの上に押し倒されるのだが、そのとき使っていたグラスが割れて、僕の背中に突き刺さりそうになった。
割れたときのことを考えてテープを巻いていなかったこと自体、スタッフワークとして未熟ではあるのだが、まさかそんなことになるとは思ってもいなかった。
幸い冬で、寒がりの僕はかなり厚手の稽古着を何枚も着込んでいたのと、僕も本能的にかなりエビ反りになっていたのでギリギリ助かった。
その件があって、押し倒す前に鳥居がテーブルの上のものを払いのけるという動きが加わった。
だが、公演初日。
僕が押し倒されてすぐに暗転になるのだが、暗転開けの舞台上でポーカーをしているスタンリーの右腕から大量の出血が見られた。
払いのけたグラスがぶつかって割れ、それが鳥居の右腕を切り裂いたのだ。
終演後、鳥居は病院へ直行。
翌日からの出演も危ぶまれた。
演出の成志も青冷め、万が一の場合に備えて、スタンリーのセリフを急遽覚えようとしていた。
幸い、腕に包帯は巻いたままではあったが、鳥居の出演は許可され、公演は最終日まで続行された。

事故は未然に防げるものであった。
それなのに事故は実際に起きた。
僕は、それをすべて大隈夫人の警告だと捉えることにした。
あらゆることに慎重であらねばいけない。
年が明けるとすぐに高尾山に赴き、安全祈願の護摩木を、今後ZAZOUS THEATERに関わるであろう人数分用意し、各自名前を記入してもらって、再び高尾山に奉納した。
さらに、吉田などが正式に退会しても、僕は何となく劇研に残り、やめたのかやめてないのかわからないような状態をしばらく続けた。
だから、僕が何年に正式退会したかは、かなり曖昧なのである。
アトリエが新築されても、まだ劇研には顔を出していたし、部室に泊まり込んだりもしていた。
そして、大隈夫人に気づかれないようにフェイドアウトしたのだ。

その後、僕はほとんど早稲田に近づいていない。
『白野』を大隈講堂で公演したときも、大隈講堂の搬入口から劇研のアトリエの方を眺めただけで、大隈裏には足を踏み入れなかった。
果たして大隈夫人は『白野』を見にきたのだろうか?
今でも劇研の芝居を見ているのだろうか?
だが、それはもう僕の物語ではなくなった。