早稲田「新」劇場:『鵞鳥と家鴨のブギウギ・ブギ -真夏の夜の夢より-』1

早稲田「新」劇場:『鵞鳥と家鴨のブギウギ・ブギ -真夏の夜の夢より-』1
構成・演出:大橋宏
1980年11月。

早稲田新機劇:『黒く塗りつぶせ -55 Avenue-』の手伝いをしていなかった僕は、その年の劇研の幹事長で「新」劇場の主要メンバーのひとりだった陰山さんに、次の「新」劇場の公演の美術制作を手伝わないかと声をかけられた。
陰山さんとはもちろん、『MYTH』や『7DOORS』に出演していただいた、陰山泰さんのことである。
陰山さんは卒業を控えており、出演すると稽古で授業を休まなければならないので、今回の公演は舞台美術を担当していた。
サロメ』を構成した春の公演『酔いどれ満月らりぱっぱ』で、すっかり「新」劇場の芝居にはまっていたので、すぐに引き受けることにした。
「舞台面は畳にして、そこに人が登れるような太い木を立てる。それから障子を操り人形みたいに動かして、役者と一緒に芝居をするんだ」というのが陰山さんのプランだったが、実際、それをどうやって作るのか、そして、障子を操り人形のように動かすって?と頭の中は「?」でいっぱいだった。
「まず古新聞を大量に集めてこい」
「了解しました」
当時の劇研では、何かが必要な場合、「貰う」「拾う」「だまって借りてくる」「買う」という順番で手に入れることになっていた。
現在とちがって、古新聞はたやすく手に入ったので、それほど難しい仕事ではなかった。
だが、いくら集めてきても、陰山さんは「まだ足りないな」と言う。
陰山さんは、陰山さんを敬愛する2年生のM村さんをアシスタントにして、鉄パイプをクランプで何本も連結させて、オブジェのようなものを作っていた。
多分、このオブジェを木に見立てるのであろうと思い、なんでもリアルにする必要はないんだなということを勝手に学習した。
とりあえず、命じられるままに近所の飲食店を回り、相当な量の古新聞を集めた。
「じゃあ、始めるかな」
陰山さんは、大隈講堂裏の劇研広場の片隅で、下水溝のような(いや、はっきり下水溝だった)コンクリートの塊を並べ、どこから持ってきたのか、鉄製の大きなゴミバケツをそこに乗せた。
さらにゴミ箱に水を入れ、廃材をかき集めてきて火をつけた。
「紙粘土を作る」
ゴミバケツでお湯を沸かし、そこに適当な大きさに切った古新聞を入れて煮る。
ぐちゃぐちゃではまだダメで、どろどろになるまで煮る。
そのどろどろの新聞紙のペーストが少し冷めて触れるようになったら、買ってきた洗濯糊を混ぜてかき混ぜる。
「こんなもんかな?」
糊の量を何度か調整して、大量の紙粘土ができた。
そして陰山さんとM村さんは、その紙粘土を鉄パイプのオブジェの足下のほうから塗り固め始めた。
予想に反して、陰山さんはリアルな木を作ろうとしていたのだ。
何日か後、まだ色付けはされていなかったが、それはそれは見事な祠のある太い木が完成した。
この木は、僕の印象に強く残り、後に舞台美術家・二村周作との最初の仕事(芝居ではない)で、イベントスペースの中心に太い木を作ることを求めた。
二村くんは、やはり立派な木を立てて期待に応えてくれた。
それはまた別の機会で。
畳屋へ行けばいくらでももらえたので、古畳やゴザはいくらでもあったので、舞台面は平台で土台を作って、そのうえに畳を敷きたる木で固定するだけだった。
劇研の公演はテントでもアトリエでも、その畳を敷いて桟敷席を客席とした。
ゴザは黒く塗って(黒ゴザ)、暗幕の代わりにもされた。
問題は、役者と一緒に芝居をする操り人形のように動く障子だった。
陰山さんとM村さんは、公演用テントの設計図とにらめっこをしながら、滑車の位置を試行錯誤していた。