『MYTH』2006年、5/11〜28:青山円形劇場

『MYTH』2006年、5/11〜28:青山円形劇場

MYTHのプランを始めたのは、佐藤アツヒロで3回目のLYNXをやったことが直接の要因である。

ところで、この個人的演劇活動記録を、時間軸でやるとついつい思い出すのに労力がかかるので、更新を怠りがちだったので、今後は「つれづれなるままに」順不同で書くことにしようかな、ということにした。

オガワ「でも、記憶はわりと時間軸に沿ってまとまっているから、順番にやったほうが思い出しやすいんだよ」

『CLOUD』でオガワにこんなことを言わせたので、つい「順番に」と自分で自分の首を締めていたのだ。

さて、そんな"シバリ"から解放されたので(ご都合主義と言う)、MYTHである。
3回目のLYNXをアツヒロでやることになった経緯については、また別の機会に書く。
とにかく、アツヒロがオガワをやったことで、急激に続編を作りたくなったのである。
いや、続編というよりは、LYNXのオガワはどんなヤツだったのか考えてみたくなったのである。
まず考えるガイドに、僕はポール・オースターを選んだ。
考えごとをするのにもいろいろな方法があると思うが、僕はだいたい本を読みながら考える。
漠然と考えるのは苦手なのだ。
まず本屋へ行って、並んでる本を一通り眺めて、ピンときた作家の本をタイトルだけで選んで5〜6冊は買って帰る。
家に戻ってとにかく読む。
読むと言うよりは見るに近い。
速読の訓練はしていないが、このときはかなり速く読める。
だが、一時記憶にしか入らないので、あとになってまったく内容を思い出せないものがほとんどである。
読んでいる(見ている)間に、気になったセリフ、フレーズ、センテンスにどんどん線を引き、思いついたことを本の内容に関係あろうがなかろうが、とにかくメモを書き込んでいく。
線が引かれたり、書き込みがされた本を再び読み返す。
これを何回かくり返していると、考えがまとまるのである。
MYTHの場合、"黒い絵"というのがキーワードとして浮上した。
『孤独の発明』の中の「見えない人間の肖像」という短編のタイトルが強く影響している。
続いて、"黒い絵"は鏡だ、という認識が生まれた。
同時に、オガワの出処を考えるのだから、父子の物語にしようと思った。
もちろん『偶然の音楽』に大きなヒントがあった。
そして、『孤独の発明』の中の「記憶の書」にピノキオの話が出てきたことも、大きな要因であった。
これでスタートできる。

登場人物の人数を決めたら、構成を考えて、ストーリーをはめ込んで行く。
ストーリーから構成が決まることはほとんどない。
まず構成を先に決めて、そこにストーリーをはめ込んでいくのである。
構成を決めるときには、各シーンがどれくらいの長さになるかも決めておく。
どのシーンをどれくらい書けばいいか、あらかじめ決めてあるのである。
だから上演時間も書く前からほとんど決まっている。
僕は90分というのが好きなので、ほとんどそこを目指して構成を考える。
プロローグから書き始めるが、考えがまとまらなかったり、セリフを思いつかなかったりしたら、そこは空白にしてどんどん先へ行く。
とにかく、まずプロローグからエピローグまで書き進めるのだ。
父親と友人を幽霊にしようと思ったのは、どの時点であったかは忘れた。
LYNXに引き続き、基本的にオガワは常に自分自身と会話している、というシバリを作っていたからだと思う。
続いて、LYNXにおけるアマリさんの役割をする人物として、弁護士を登場させることにした。
俗世間と繋がる人物がどうしても必要なのである。
だが、今回はドラッグの売人とかではなくて、現実社会との接点がほしかったので弁護士となったのだろう。
不動産屋というのも考えたような気がするが、なんか下世話な人物にしかならなくてやめにした。

エピローグまで一度到達すると、ようやく自分が今回何をしようとしているかがわかってくる。
MYTHでは父子の和解を描きたいようであった。
驚かれるかもしれないが、描きたいこと=テーマ?は書く前にはほとんど意識的に存在しない。
書いている最中に少し意識し始めるくらいである。
実際に作品のテーマをはっきりと認識するのは、公演が始まってからがほとんどである。
一度ラストまで行ったら、空白部分を埋めて完成を目指す。
あとは稽古場で細かいところを修正していく。
だから、だいたい稽古場で直しが入った第二稿が決定稿となる。
だが、稽古場で思いついたことが、すべて書き込まれているわけではない。

MYTHの稽古を開始して、あることに気づいた。
息子のアツヒロは、父親の英介さんより弁護士の陰山さんと顔が似ているのだ。
いや、似ているというより、むしろ父子と言ってもいいほどソックリではないか。
そこで、僕の妄想が始まる。
この息子の本当の父親は実は弁護士で、父親も弁護士もそれを知っている。
このことだけで、もう一つ別のストーリーが書ける。
それを陰山さんに話すと、面白がってくれて、役作りに取り入れてくれることになった。
書いたときには考えもしなかった物語が、稽古や本番の舞台を見ていて思いついたときというのは至福のときである。
長年、僕の舞台監督をしてくれている安田美知子は、そんな僕の瞬間を見逃さず、「ほらほら、スズカツがまた何か出しながら見てたよ〜よかったね、面白かったんだ」などと言う。
でも、それはテキストに書き込まれることはなく、上演においても説明されることもない。

ところで、今回のサラヴァ東京でのリーディングでは、父親はオリジナル・キャストの英介さんであるが、息子は菅原永二にやってもらう。
実は、英介さんと永二は同系統の顔立ちをしている、と僕は前々から思っていたのだ。