1804-GJ/booklet

『GJ』はオフィシャルでは「ジー・ジェイ」と読むことで統一されておりますが、個人的には「ギジ」と読んでいただけるとうれしいです。だったら『GIJI』と表記しろ、というご意見もあるかと思いますが、脚本を書いた本人としましては、あえて「I」を抜くことで「私」を見失っている、という意味を持たせてみた、という感じです。
劇場は虚実に満ちている場です。舞台上では、すべてがニセモノのはずなのに、ある瞬間、とてもリアルなものに変質し、演じた役者、それを目撃した観客の心に突き刺さり、真実を垣間見せることがあります。そのような衝撃的な体験には中毒性があり、一度経験すると、もう一度、もう一度と深く深く求めてしまうものでもあります。僕はこれまで、そんな中毒者を本当に数知れぬほど見てきました。もちろん、僕もその一人です。で、今回、HPCの3人も完全な中毒者にしてやろうと思っているわけです。
鈴木勝秀(suzukatz.)

1710-『ウエアハウス〜Small Room〜』/Introduction

ウエアハウス』は、鈴木勝秀が25年以上の年月をかけて、エドワード・オールビー『動物園物語』を書き直して、様々な演劇や音楽の実験をしてきたシリーズである。

取り壊しが決まった教会の地下にある"憩いの部屋"で、地域サークル、「暗唱の会」のメンバーが活動を行っている。活動の内容は、各自がそれぞれ好きな詩や小説、戯曲などを暗記してきて、メンバーの前で暗唱するというものである。近くの出版会社で働く男もそのメンバーの一人である。だが、男はこれまで一度も暗唱を披露したことがない。アメリカを代表するビート派詩人、アレン・ギンズバーグの長編詩『吠える』をただひたすら練習しているだけである。一人になると、ぶつぶつと『吠える』をつぶやく。そこへ、若い男が現れる。いきなり英語で話しかけてきた若い男に興味を引かれ、ふたりは話し始める。質問ばかりする若い男に戸惑いながらも、いつしか若い男ののペースに巻き込まれていく──

ウエアハウス』の中の次のセリフは、僕自身のことである。

「年季入ってますねえ(この本)」

「同じ本を何度も読むのが好きなんです。中でもそれが一番好きだな」

「すごい書き込みだなあ」

「自分用に書き直したりしたんです。自分のものにしたかったから」

演劇公演も含む、ライブパフォーマンス『ウエアハウス』のサブタイトルを並べると、「ウエアハウス」「地下」「REST」「Noise」「Error」「period」。
そのほかに、CDやインスタレーション、5分くらいの映像作品、ワークショップの発表会、勉強会……『動物園物語』それ自体も、一度だけPARCO劇場で上演した。
そして、2011年の演劇集団円の主催で上演した「circle」(橋爪功主演)がある。
その後、渋谷のライブハウス、サラヴァ東京で、実験的リーディング公演を2回やっている。
サラヴァ東京版は、登場人物が八人だった「circle」を、二人用に書き直したものである。
今後も、このテキストを書き直し続け、様々な演者(俳優だけとは限らない)に上演してもらうことによって、テキストとしての強度を上げて行きたいと考えている。
今回は、3人バージョンを作成する。

1708-グローリアス/booklet

「ブラボー!」

クラシックやオペラの上演における「ブラボー!」や歌舞伎の大向うなど、観客からの掛け声が劇場の雰囲気を盛り上げることに一役買うことはたびたびある。
僕がやってきた小劇場系ではほとんどそのような習慣はないが、過去に一度だけ、見事な大向うで芝居を盛り上げていただいたことがある。
劇場は早稲田大学大隈講堂、演目は『白野』。舞台の最終盤、「それが男の心意気!」、と舞台で見得を切ったのは緒形拳さん。そしてその見得に、見事な間合いで「緒形!」と声を掛けたのが篠井英介さんだった。緒形さんの見事な芝居に、観客は感動していたのだが、英介さんの大向うで、それがさらに沸点に達したような感じがした。

「ブラボー!」や「大向う」は、いろいろ決まりごとがあるようだから、シロウトはむやみに手を出さないほうが無難らしい。たしかに儀礼的な「ブラボー!」は、ほかの観客のテンションを下げることがあるのは事実だ。だが演劇はもちろん、音楽やスポーツでも、思わず何か声を掛けたくなる瞬間というものがある。そんなとき、英介さんの「緒形!」のように見事に「ブラボー!」的な感嘆詞を叫べたらいいのだが、なかなか思うようにはいかない。結局、僕は一生懸命拍手するくらいしかできないでいる。

『グローリアス!』を演出するにあたって、僕が重要だと考えたのは「ブラボー、マダム!」というセリフである。
心の底から、誰かを賞賛する喜び──

『グローリアス!』は、実在の世界一音痴なオペラ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンズの物語である。しかし、重要なのはフローレンスに自分たちを託し、彼女の成功を賞賛することに喜びを見出した人々の存在なのである。
フローレンスは、ある種、超人である。歌が上手いとか下手だとか、大金持ちだったとかは関係ない。そんなことは超越しているのである。そして当然のことながら、ほとんどの人はフローレンスにはなれない。だからこそ、フローレンスを見ること聴くことによって追体験し、彼女に自分の人生を重ね見て「ブラボー!」と快哉を叫ぶ。
この「ブラボー!」と叫ばずにはいられない、超人に出会ったことを誰かに語らずにはいられない人々が、この物語の肝なのである。そしてその人々とは、何を隠そう僕自身でもあるのだ。

僕は演出家という職業を通じて、多くの"超人"を見てきた。もちろん、英介さんはその"超人"のひとりである。『欲望という名の電車』『トーチソング・トリロジー』『サド侯爵夫人』『翻案劇サロメ』……これまで何度も「ブラボー!」と叫ぶ機会はありながら、それをできずにいる。
今回は、コズメやドロシーに紛れて、「ブラボー、マダム!」と叫ぶチャンスなのかもしれない。

鈴木勝秀(suzukatz.)

『ぱんきす!』に向けて書いたコメント集

1502-ぱんきす/booklet
教えられるのを待って、自分からは何もしないようなヤツはいらない。(註1:今回の稽古場には、振付の先生も、歌唱指導の先生も、とにかく「先生」と呼ばれるかたは一人もいません)
物知り顔で教えるようなヤツは去れ。(註2:もちろん自戒です)
自粛、自己規制、空気読みなんか必要ない。(註3:礼儀や尊敬の念は大事です)
マスクを外せ!前髪を上げろ!イアフォンを外せ!でかい声で話せ!叫べ!怒れ!泣け!大笑いしろ!
オレたちは自由だ!(註4:舞台の上で俳優は自由であらねばなりません)
舞台の上はいつだって無政府状態アナーキー)がいい。
本日はご来場、誠にありがとうございます。
最後まで、応援、よろしくお願いいたします。
鈴木勝秀(suzukatz.)

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1506-ぱんきす/comment
本当に好きなものは隠されている……というわけで、今回の会場は西麻布の地下クラブだ!
汗の匂いもほのかに香るアンダーグラウンド……パンクスはやっぱり地下だぜ、お陽様なんか見たことないね!
獣耳男子(3次元)に音楽の精霊(2次元)、さらにはミルキー・ホワイト・ボーイ(新入り)も加わり、牛乳飲んでシークレット・ギグ!
ホワイトノイズ様もお目見えか?!はあ〜、イライラ、モヤモヤ、どっかーん!
鈴木勝秀(suzukatz.)

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ぱんきす/comment/DVD
これは物語の「はじまり」の記録である。何の物語かというと、俳優を目指す若者たちの物語だ。何十年も続くかもしれないし、数年で終わるかもしれない。だが「おわり」はどうでもいい。はじめたことが重要なのだ。
鈴木勝秀(suzukatz.)

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1508-ぱんきす/leaflet
唯我独尊!全力主義!ぱんきす!
フィードバックという言葉をよく聞く。アンケートが年中行われる。民意とか、パーセントとか、偏差値とか。
そんなものは「ぱんきす!」に必要ない。
すべて同じ言葉で語られる。典型的なのが「面白かった」。「面白い」は人それぞれなはずなのに、一元化されてしまう。それはファシズムだ。
そんなものは「ぱんきす!」に必要ない。
わかったような演技は見ていて不愉快になる。一人よがりでいい。野蛮でいい。荒削りでいい。問われているのは、全力を出しているか、なのだ。
唯我独尊!全力主義!それこそが「ぱんきす!」!
鈴木勝秀(suzukatz.)

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1506-ぱんきす/booklet
「本当に好きなものは隠されてる」
これは独占したい、という感情と関係がある。人はできることなら何でも独占したいのだ。モノでも人でも、愛情でも。秘宝。秘蔵。秘密クラブ。レア物はだから人気がある。
一方、日本の演劇の祖とも言うべき世阿弥も、「秘すれば花」=秘めるからこそ花となる、と言っている。
ロック史上最大のアイドルでアーティストのビートルズも、デビュー前リヴァプールの狭い狭いキャバーン・クラブやハンブルグの怪しいクラブで、ひたすら演奏を続けていた。隠された場所では、批判や規制の目も気にせず、本当に自分たちの好きなことに専念できる。僕たちが若いころ「小劇場」で活動していたのも同じだ。
強い愛情があるからこそ「ぱんきす!」を独占したいみなさんと、まだメジャーではないからこそ好きなことに専念できる「ぱんきす!」が、この狭い空間で渾然一体となって、花となるべくおたがいにエネルギーをぶつけ合う。
「ぱんきす!」とは、この地下クラブに集まった全員のことなのである。積極的参加を期待する!
鈴木勝秀(suzukatz.)

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1508-ぱんきす/comment
昨年の8月に、『ぱんきす!』のワークショップは始まった。だから、僕が恵比チリDANと活動を始めて、この公演でちょうど1年経ったのである。その間、徹底してきたのは、「声出せ!」「跳べ!」「リズムとテンポ!」の3つ。で、それは今後も変わらない。だって、この3つをマスターできれば、どんなものでも表現できる。ロックの3コードと同じ。シンプル&パワフル!それが一番カッコイイのだ!
『ぱんきす!』は、虚構と現実の境界が、実に曖昧な構造になっている。キャストの成長がキャラの成長に結びついてはいるが、実際のキャストとキャラはほぼ違う。だから、モユキは石田くんに似ているけど、石田くんではない。そして、『ぱんきす!』は『恵比チリDAN』ではないのだ。この虚構だか現実だかわからないまま『ぱんきす!』は突き進む!少なくとも僕の頭の中で『ぱんきす!』はもう、グラストンベリー・ロックフェスのステージに立っているのだ。 
鈴木勝秀(suzukatz.)

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1605-ぱんきす/leaflet
こうして再び『ぱんきす!』をやれることを、まずは関係者のみなさま、そして何より『ぱんきす!』を支えてくださるお客さまに、深く深く感謝いたします。m(_ _)m僕は今、猛烈に感動しています。感動をありがとう……じゃない!やりたいことはなんとしてもやるだけだ。何度叩かれても立ち上がり、そのたびに増殖して、パワーもスキルもジャンプ力もアップして、吠え続ける!だって、オレたちゃPUNK KISS!なんだから。
鈴木勝秀(suzukatz.)

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考えることな〜し

「考えることな〜し」

どうしてこんなに毎日やりたい
どうしてこんなに毎日やりたい
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!できない!できない!
どうしてこんなに毎日足りない
どうしてこんなに毎日足りない
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!

考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
忘るることなし、思い出なし
考えることな〜し

どうしてこんなに毎日食べたい
どうしてこんなに毎日食べたい
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!できない!できない!
どうしてこんなに毎日出したい
どうしてこんなに毎日出したい
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!

考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
忘るることなし、思い出なし
考えることな〜し

(コーラス)
恵比チリD
恵比チリD
おまえのことだよ

恵比チリD
恵比チリD
オレたちのことだよ

(間奏)

考えることな〜し
(考えることな〜し)
考えることな〜し、な〜し
(考えることな〜し、な〜し)
考えることな〜し
(考えることな〜し)

どうしてこんなに毎日むなしい
どうしてこんなに毎日むなしい
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!できない!できない!
どうしてこんなに毎日さみしい
どうしてこんなに毎日さみしい
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!

考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
忘るることなし、思い出なし
考えることな〜し

どうしてこんなに毎日イライラ
どうしてこんなに毎日イライラ
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!できない!できない!
どうしてこんなに毎日モヤモヤ
どうしてこんなに毎日モヤモヤ
このままずっとじゃ満足できない
できない!できない!

考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
考えることな〜し
考えることな〜し、な〜し
忘るることなし、思い出なし
考えることな〜し

コーラス
恵比チリD
恵比チリD
日本の未来は明るい

恵比チリD
恵比チリD
日本の平和は永遠に続く

恵比チリD
恵比チリD
日本の未来はオレたちが作る

恵比チリD
恵比チリD
みんなわかってるよな

1706-ノール/booklet

「できないことだらけ」

『ノール』は今から29年前(1988年12月)に、僕が自分のプロデュースユニット=ZAZOUSTHEATER(ザズゥ・シアター)で構成・演出をした『NORD>北へ』のリメイクである。
要するに、僕の旧作をECDにやらせてみよう!というのが、今回の公演の主旨である。

『NORD>北へ』の台本を書いた当時、僕は28歳。
400字詰めの原稿用紙に、製図用のペンで手書きだった。
それが、手直しした部分も、あとから書き加えた部分も含め、奇跡的にすべてのページが僕の手元に残っていた。
もしかしたら、いつかリメイクしようと思っていたのかもしれない。

リメイクにあたり、女性の登場人物を男性に変えたり、いくつかのキャラクターを一人にまとめたりして、ECDの編成に対応した。
だが、設定や関係性は基本的に変えていない。
一番大きな変更は、ハラの設定がベテラン刑事からキャリア組のエリート刑事に変わったところである。
セリフは、極力当時のままにしてある。
展開の仕方が下手くそだったりするが、あえて手直しはしなかった。

『ぱんきす!』を離れて、ECDと「芝居」を作ろうということになって、いくつかアイデアはあった。
最初は男子学生寮のオムニバスを書くつもりだった。
均等に出番を作れるし、合間に歌やダンスを入れて、『ぱんきす!』っぽさも残せる。
だが次第に、二十代の僕が書いた作品をECDのメンバーにぶつけて、どんなことになるかを見てみたい、という思いがどんどん強くなった。
だって、こんなチャンスは滅多にあるものじゃないでしょ。

ところで、なぜ僕はECDと関わり続けているのか?
『ぱんきす!』でなくなった今、それを考えてみた。
少なくとも「先生」であるつもりはまったくない。
「劇団ごっこ」をしているつもりもない。
もちろん「仕事」の一つではある。
だが僕は基本的に「仕事」でも、自分が楽しくないことはやらない、というスタンスでやってきた。
では?

キャリアを重ねてくると、いろいろなことが「できる」ようになる。
そして、「できる」ことがどんどん当たり前になる。
極端な話、現在僕はイメージさえスタッフに伝えておけば、具体的に僕が何もしなくても、日本の最高レベルの舞台空間を手にすることができる。
だが、ECDと芝居を作ろうとすると、そうはいかない。
「できない」ことだらけなのだ。
しかし「できない」ことに直面したとき、人間は必死に考え、工夫し、突破し、できるようにしようとする。
そしてそれこそが、実は芝居づくりの一番楽しい部分なのである。
だからキャリアを重ねていくと、その楽しい部分をかなり手放さなければならなくなる、とも言えるのだ。

『NORD>北へ』は、早稲田大学大隈講堂裏の特設テントで上演した。
劇場作りからすべてが自分たちの手作りだった。
「できない」ことだらけだった。
だから楽しかった。
本当のことを言えば、ECDにも特設テントでやらせたかった。
そのかわり、劇場全体を普通使わないところまで、隅から隅までアクティング・エリアに設定した。
どんなことになるか、僕が一番楽しみにしているのかもしれない。

鈴木勝秀(suzukatz.)

音楽メモ(12)

(12)
・Without A Net / ウェイン・ショーター(2013)
→『Native Dancer』以外、どれを聞いてもウェイン・ショーターに入り込めない。それなのにまた聞いてしまう。ウェザー・リポートとVSOPが強烈すぎるせいだ。それとショーターの知性。だが、知性は理解につながっても、「好き」につながらない場合はもちろんある。でも、また聞く。
◯Jazz / クイーン(1978)
→面白い。クイーンにはいろいろな面があるのに、画一化したイメージしか持てていない。あまり聴き込んでこなかった証拠。
・わたしのなかの悪魔/ベル・アンド・セバスチャン(2000)
→ピンとこなかった。
Northern Lights-Southern Cross (Expanded Edition)/ザ・バンド(1975)
→モダンになって一般化している。初期のオリジナリティが失われている。ザ・バンドは『Stage Fright』までだったのかもしれない、なんて。
・Unhalfbricking / フェアポート・コンヴェンション(1969)
→トラッド・フォークにどうも馴染めない。なんだろう?ジョニ・ミッチェルはすごく好きなのに。
・good kid, m.A.A.d city (Deluxe) / ケンドリック・ラマー(2013)
→ボウイーが『Black Star』製作時によく聞いていたらしい。ダークなトラックを研究していたのだろうか。
BBC Sessions / クリーム(2003)
→クリームのBBCセッション。意外としっかり演奏している。ジャケット写真が『ロイヤル・アルバート・ホール』のジャケットと同じ構図。
◎Wheels of Fire / クリーム(1968)
→2枚目のライヴ演奏のほうばかり聞いていた。だが、こうしてスタジオ録音のほうを改めて聞いてみると、1968年当時としてはかなり実験的な音楽をやっていることがわかる。しかしクリームはその演奏力のせいで、ビートルズのようにスタジオにこもって独自の音楽を追求するのではなく、ライヴを盛んに行った。結果として、ライヴに伴う人間関係の軋轢が生じ分裂する。音楽的なリーダーがいなかったことも大きな要因だろう。ビートルズにはポールとジョージ・マーティンがいたことが改めて重要だったことに気づく。イーノとかロバート・フリップとかナイル・ロジャーズとか。フェリックス・パパラルディは、自分も優秀な演奏者だったから、実験することをしなかったのかもしれない。下手だから工夫する。いろいろな方法を考えるから発見がある。クリームは上手すぎた。

◯I Still Do / エリック・クラプトン(2016)
→ブルースやらせておけばOKなのである。
◯Fallen Angels / ボブ・ディラン(2016)
→ここへくるのか。