音楽メモ(11)

(11)
◯La Busqueda / パコ・デルシア(2015)
→フラメンコ・ギターのすべて。
・Aspects / The Eleventh House(1976)
フュージョン・ギター。ありがち。
・Back In The USA / MC5(1970)
ビートルズが60年代にやってきたことを、またスタート地点に戻したような。パンクも同じ試みゆえに、パンクスからもリスペクトされたのかも。だがこれは逆行であって、原点を捉え直すところまで行ってない。誰もが音楽をやっていい。でも、すべてに聞くべき何かがあるわけじゃない。
・Views / ドレイク(2016)
→ヒップホップは、カニエだけ聞いていればいいのか、という気になる。
◯St. Anger / メタリカ(2003)
→決して心地よくない音楽。しかし、独自性があって、いろいろなことを考えさせられる。
・Sabbath Bloody Sabbath / ブラック・サバス(1973)
→子供の音楽。
◯diana / ダイアナ・ロス(1880)
→いい意味でも悪い意味でもプロが作った音楽。流して聞けるし、構えても聞ける。かと言って、自分の中の何かが変えられるような衝撃はない。
Red Hot Chili Peppers / レッド・ホット・チリ・ペッパーズ1984
→さえないファンクバンド。フリーのベースだけ目立っている。
1984 / ヴァン・ヘイレン1984
→明るく楽しいヘビメタ。売れたかったんだ。音楽は金持ちになるための道具。アメリカで、一発ミリオンセラー出せば、それで生きていける。宝くじを買うように音楽をやる、映画を作る、小説を書く。実際はそこまでではなくても、這い上がる手段であることは間違いない。純粋にいい作品を作りたい、という衝動だけで、人は作品を作れないのかもしれない。だからと言って、開き直ってコマーシャリズムにどっぷり浸かるのは、必ずしっぺ返しがある……いや、そう思いたいだけなのかもしれない。自分のためだけの表現などないのだし。
◯Odessey and Oracle / ザ・ゾンビース(1968)
ビーチボーイズのようでありながら、不思議なメロディと不思議な演奏にいつのまにか耳を奪われる。イギリスのバンド。

音楽メモ(10)

(10)
・Music From Another Dimension! / エアロスミス(2012)
→変わらないことが老舗バンドが長命をつかむコツ。
◯Hydra / TOTO(1979)
→80年代の先触れ。西海岸のスタジオミュージシャンが、そのテクをちょい甘いムードで演奏したものが流行る。それは"聴きやすい"がメインテーマ。聴きやすい、邪魔にならない。リッチで満たされる。危機意識、危険察知能力がどんどん弱まる。やはり80年代のロックは、資本主義の手先なのだ、ということを実感する。そこを意識したうえで、RADIOHEADやRHCPが現れるまでの10年を振り返る意味で、80年代ロックを聞いてみると、新たな発見があるかもしれない。この呑気さ、わかりやすさ、軽快さ……この音楽で育った人間と、ボブ・ディランの音楽で育った人間は、明らかに違ってしまう。ボブ・ディラン系を聞くには、今だってある覚悟が必要だし、意志を持たなければ聞けない。若いころは、そうやって構えて音楽に向かっていたのだ。
Toto / Toto(1978)
→デビュー・アルバムのほうが、もっとお気楽だったんだ。だがいつの時代も、アメリカのポップ・ミュージックは、こんなものだったのかもしれない。個人的に、年齢を重ねて、ヨーロッパに親近感を持つようになり、アメリカが嫌いになるにしたがって、アメリカ的人生を謳歌するようなものは、なんであっても好きではなくなってきたのかもしれない。もちろん、アメリカ的価値観を疑問視するアメリカ人はいる。常に、既存の価値観を疑うことによって、アートは成立してきた。つまり、どうしても反権威主義になる。この手の音楽が、どうにも好きではないのは、その精神の部分なのであろう。かといって、アンチだけで作られた作品は、どれであっても作品としての力は感じない。
・MKⅢ〜ライヴ・イン・パリ 1975 / ディープ・パープル(2012)
→ヴォーカルは、デヴィッド・カバーデル。テクはあるけど、ありきたりのハードプログレ・バンド。妙に客に媚びている。ほんの3年でこのようになる。イアン・ギランの凄まじさを改めて思うためのアルバムにしかなってない。
◯KYLIN LIVE/渡辺香津美(2005)
→1979年のライヴ。メンバーは、坂本龍一矢野顕子、村上 Ponta 秀一 、小原礼、PECKER、向井滋春清水靖晃本多俊之矢野顕子は飛び抜けて個性的。坂本龍一は演奏技術は低いと偉そうに思っていた。で、ホーンの3人は圧倒的。個人的にはジャズ初心者のころ。
◯TO CHI KA / 渡辺香津美1984
→クロスオーバー・ジャズの世界最高峰は渡辺香津美だったんじゃないだろうか、とまで思わせる。
・The Guitar Bro. / 松原正樹 with 今剛(2006)
→日本人の演奏技術は大したもんだ。でも、技術だけでは面白い音楽にならない。BGMには最適。
・California Shower / 渡辺貞夫(1978)
→これが大ヒットしたのだ。神奈川県民ホールに初めてジャズを聴きに行った。たしかに渡辺貞夫によって、ジャズの底辺は広げられた。
◯Starless Starlight / David Cross & ロバート・フリップ(2015)
→音色がいい。
◯Retrospective / アンディ・サマーズ(1998)
ロバート・フリップを目指していたのだろうな。

音楽メモ(9)

(9)
Out Of The Blue / エレクトリック・ライト・オーケストラ(1977)
→ジェフ・リンはビートルズの大ファン。だからと言って、同じレベルで音楽が作れるわけではないのは当然なのだった。
・sadistics / サディスティックス(2016)
→海辺のBGM。
Jeff Beck Performing This Week...Live at Ronie Scott's/ジェフ・ベック(2015)
→タイトルがすごく象徴的でいい。ジェフ・ベックは、毎週どこかでギターを弾いている。いろいろなゲストを呼んだりして。気負うことも、張り合うこともない。ギターを弾くということが日常であり、その衝動は消えることがない。日常に取り込めたものこそ、一番強い衝動なのかもしれない。

・Santana Ⅳ/サンタナ
→テレビ番組のBGMに使いやすそう。で、演歌のように湿っぽいギターあり。
・Ride The Lightning / メタリカ1984
→とにかく大仰である。大仰であることがメタリカの証。根底にあるのは、アンセムでありバラード。ブルースではない。
◯Mezzanine / マッシヴ・アタック(1998)
→発売当初の絶賛の記事を読んで、ずっと聞こうと思いながら18年も経過してしまった。思っていたのとはまったく違って、ダークでスローなテクノ。ものを考えるにはいい。
◯Viva! Roxy Music / ロキシー・ミュージック(1976)
→このあとの洗練されたロキシーが一番売れるわけだが、このヌメッとしたロックは、ロキシー独自のテイスト。いい意味でキモいバンドだった、ゆえにOne & Only。
Foo Fighters / フー・ファイターズ(1995)
→思ったより軽い。
・Bop Till You Drop / ライ・クーダー(1979)
→このアルバムは、特によく聴いた。それなのにここに来て、ライ・クーダーのどこがいいのかがわからない。ワールドミュージックの先駆け、スライド・ギターの名手……だが、歌声が好きじゃない。これは致命的。リヴォン・ヘルムに軍配。
◯Be Here Now / オアシス(1997)
→オアシスではこれが一番好きかも。ってどれを聞いても思ったりするのだった。

音楽メモ(8)

(8)
・Rough & Ready / ジェフ・ベック・グループ(1971)
→平凡なジャズ・クロスオーバーのイメージ。激しくない。
・Coda/レッド・ツェッペリン(1982)
→結局ツェッペリンは、それほど名曲、名アルバムを生み出したわけではないのではないか。それとも「Ⅳ」が傑作過ぎるのか。
Rage Against The Machine/レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン(1992)
→美しくない。攻撃的でも暴力的でも美しさはある。美=品。
Franz Ferdinandフランツ・フェルディナンド(2003)
DEVOっぽい、という印象。PLASTICSとか。決してトーキングヘッズではない。
MTV Unplugged No.2.0/ローリン・ヒル(1992)
ローリン・ヒルの語りがメインとも思える内容。英語の勉強になる。
◎Celebration Day (Live At O2 Arena, London)/レッド・ツェッペリン(2012)
ツェッペリンのライヴバンドとしての面目躍如。

◯Smokin' / ハンブルパイ
→安心して聴けるホワイトブルース。
・We're Just Taking Off / サディスティックス
→当時日本を代表すると思われるミュージシャンが集って、軽い軽いフュージョンをやった。やはりヴィジョンを示せるリーダーが必要なのだ。
・Foreigner/フォリナー
→個人的な印象としての、80年代のダメになったロック。
◇It's A Live/ラモーンズ(1979)
→これがパンクなんだ。本当に演奏も歌も下手で、歌詞も単純なフレーズのくり返し。どれを聞いても同じような曲。しかもアレンジ力がないから、1曲が1分半から2分。それがずっと続くライブ。これでプロとしてレコードを出していたのだから、ある意味すごい。そして、ヤプーズブルーハーツも、ラモーンズのパクリに思えてくるからまたすごい。個人的には1回聞けば十分ではあるが。

音楽メモ(7)

(7)
◯Fly Like An Eagle/スティーブ・ミラー・バンド(1976)
→軽い軽い白人ブルース。
◯The Joker/スティーブ・ミラー・バンド(1973)
→力抜ける白人ブルース。でも好き。
・The Wall/ピンクフロイド(1979)
→コンセプトが先行して、音楽自体は面白くなかった。
◯Sheer Heart Attack/クイーン(1974)
→デビュー時に、すでに「ボヘミアン・ラプソディ」は鳴っていたのだった。
◯On Time/グランド・ファンク・レイルロード(1969)
→高校生の頃イメージしていたロックバンド。
・Grand Funk/グランド・ファンク・レイルロード(1970)
グランド・ファンク・レイルロードは、どれか1枚でいい。
◎We're An American Band/グランド・ファンク・レイルロード(1973)
→そうなると、このアルバムということになるのかもしれない。

・Shinin' On/グランド・ファンク・レイルロード(1974)
→「アメリカン・トップ40」で「ロコモーション」を聴いたとき、まったく好きじゃないと感じたことを思い出す。
・Fandango/ZZ Top(1975)
→伝統芸に近い。
・Abracas 天の守護神サンタナサンタナ(1970)
→「ブラック・マジック・ウーマン」か。

大/早稲田攻社「黄色い靴下は似合わない」

大/早稲田攻社「黄色い靴下は似合わない」
1981年4月26日〜29日(4ステージ)
大隈講堂裏仮設劇場
構成・演出/浅井孝一
出演:吉田紀之、渡部聡、新井けさ子、他

個人的演劇記録を書き続けようと思いながら、前回からずいぶんと時間も経ってしまったが、あくまで個人的な記憶の記録なので、だらだらと続ける。

さて、大/早稲田攻社の旗揚げ公演である。
とはいえ、今回は35年も前のことなので、思い出せるかどうか。
大隈講堂裏仮設劇場というのは、もちろんテントのことである。
テントには、いろいろな呼び名があった。
「大隈裏テント」という呼び名が定着したのは、第三舞台がその呼び名で統一してからだったような記憶がある。
当時は、本公演はテント、試演会や新人公演はアトリエ、というように棲み分けができていたように思う。
とにかく公演のずいぶんと前には、おおまかな舞台美術が考えられ、それに合わせてテントを設計して、それをアンサンブルに関係なく劇研員全員で設営していた。
アンサンブルは、言ってみれば劇団と同じことなので、劇研は劇団の寄り合いである。
では、早大劇研の実態とは何であるか、と言えば、このテントこそが、テントの設営、解体こそが、劇研の実態であったのだと思う。
最初は稽古用に舞台部分だけが建てられ、公演が近づくと客席部分を増設するというやり方だったが、後に二度手間になるので、一気に客席部分も設営してしまうようになった。
それによって、本来、大隈裏に部室を構えるサークルの共有スペースであった広場が、劇研が独占することになり、ラテンアメリカ協会などから不満の声もあがったが、なぜか劇研は独占を当然のごとく、大隈裏を好き勝手に使うようになっていった。

『黄色い靴下は似合わない』は、シェイクスピアの『十二夜』を浅井が構成したテキストをもとに稽古をした。
僕は舞台監督をしながら、初めて役があって舞台に立った。
だが、芝居内容に関しては、ほとんど何も記憶していない。
暗転の中、本火をつけた松明を持って現れるシーンがあったのだが、とんでもない消防法違反である。
稽古中、主演と思われていた女子が自信を失い、実家へ引きこもってしまったのを、浅井とふたりで呼び戻しに行ったのを覚えている。
いずれにせよ、誰が主役だったかはまったくもって不明確であった。
その逃亡した女子は、ほぼ長ゼリをいうだけで、あまり本編の登場人物と会話がなかったので、最悪、その役はなしにしよう、とか浅井と話したことを覚えている。
それで成立してしまうようなことだった。
あと記憶にあるのは、とにかく共演者同士でも聞き取れないぐらいの速度でセリフを言うことを要求され、ただただでかい声でセリフを怒鳴っていたということくらいか。
セリフやストーリーに意味などない、ということが、極端に実践されていたわけで、個人的には影響を受けたかもしれない。
いや、そんなことないか。
僕が、セリフやストーリーに意味などない、と考えたのは、まったく別経路からだ。
タイトルにすら意味はなかった。
関わっている全員が、何をやっているのかさえさっぱりわからず、わからないことをやることにだけ意味があったようなものだった。
当然、観客は何もわからなかったと思う。
だが当時は、わからないものにこそ、何か意味を見出そうとするムードがあふれていて、わからないからこそいい、といった考え方もあったように思う。

というわけで旗揚げ公演のわりに、清々しいほど印象も記憶も残っていない。
それでも公演が終了すると、すぐ次の公演のプランを話していたのだから、ある達成感はあったのだろう。
この公演のすぐあと、第三舞台が旗揚げする。
もちろん『朝日のような夕日をつれて』の初演だ。

『サムライモード』パンフレット用テキスト

「遊んで暮らす」

いきなりこんな書き出しで、ご来場のみなさまの気分を害することになったら、本当に申し訳ないのですが、僕はこれまで就活はもちろん、就職もしたことがありません。大学在学中から授業にも出ず、芝居(と草サッカー)をやってまいりました。つまり傍から見ると、人生の大半を遊んで暮らしているようなんだと思います。ですが、ただ遊んでいるだけでは世間様に申し訳が立たないので、たとえ悲劇を作る場合でも、全力で遊ぶことを心がけております。

そんな僕ですが、昨年の『魔王』で*pnish*と出会い、彼らもまた"全力で遊んで暮らしている"ことを知り、とても心強く思いました。そして今回のオファー。しかも、今度は人気演目の再演という、*pnish*フィールドで遊んでみませんか、というお誘い。さらには15周年(おめでとう)!もちろん即決させていただきました。

というわけで「*pnish*+suzukatz.」第2弾は、腹の探り合いもなく、稽古場からずっとテンション・マックスでスタートです。ご来場の皆々様も、どうぞこのひととき、全力でお楽しみくださいませ!

鈴木勝秀(suzukatz.)