早稲田「新」劇場:『鵞鳥と家鴨のブギウギ・ブギ -真夏の夜の夢より-』2

早稲田「新」劇場:『鵞鳥と家鴨のブギウギ・ブギ -真夏の夜の夢より-』2

劇研では公演が一つ終わると、劇研員全員参加で打ち上げ(飲み会)が朝までアトリエで催される。
そして、翌日、昼からこれまた全員参加で特設テント(劇場)を解体し、次の公演用に再びテントを立て直すことになっていた。
テントの設計者は各公演の担当責任者で、特に建築の免許があるとか、理工学部で建築の勉強をしているとかいった人間ではない。
言ってみれば、シロウトが経験的に覚えたやり方で建てていたのであって、極めて非合法なものであったのだと思う。
それでも、自分たちの手で劇場から作れる!というのは稀有な経験であって、ぜひこの伝統は守り続けていただきたいものである。
僕もいずれはテントの設計をすることがあるかもしれないと思い、構造、設営手順などを作業しながら覚えた。
そして「新」劇場の公演用テントも建ち、舞台作りが始まった。
実際の公演場所で何週間もかけて、稽古をしながら舞台美術や照明を作り上げていくのである。
素晴らしく贅沢な作業である。
稽古中は舞台上で作業できないので、舞台美術関係の仕事は夕方以降になるのだが、僕は稽古の最初から客席の隅にいて、大橋宏さんの芝居作りを見学していた。
大橋さんは5歳ほど年上で、このころ文学部社会学科の大学院に籍を置く学究肌の人で、現在は、前衛演劇集団「DA・M」の代表をされている。
当時の演劇ジャーナリズムの中では、東大の野田秀樹と並ぶ学生演劇の注目株であった。
メジャーになることより、己の哲学や美学を追求することをよしとして、独自の演劇活動を継続されている。
「物語の解体」を標榜し、ブレヒトの異化効果(V効果)を基盤として再構築されたテキスト。
ジャズをベースとした音楽的なセリフ回しや、早稲田小劇場・鈴木忠志の流れを受け継ぐ、訓練された俳優の肉体による非日常的な動き、全体を貫く批評性とトリックスター(この公演ではパック=久保酎吉)を強く意識した笑いの構造。
僕にとってはとにかく刺激的で、大学の授業に出るより圧倒的に楽しく、何倍も為になった。
さて、舞台美術のほうはというと、懸案の「操り人形のように動く障子」であった。
陰山さんのプランは、最初畳の上に3枚の障子が並んで立っていて、それが途中で舞い上がって空中を動き回り、さらにその中の1枚が降りてきてパックとともに演技をする、というものだった。
障子の4つの角にそれぞれ"細引き"と呼ばれる黒い紐がつけられ、その紐をテントの鉄パイプに取り付けられたいくつもの滑車を通して、舞台裏で操作するのである。
僕は一番簡単な動きをする障子を任された。
上下動と前後の動き、ポイントで揺すったりといったものだ。
陰山さんは滑車の位置を何度も付け替えながら、毎日様々な動きの研究を続けた。
次第に自在に動かせるようになり、障子は舞台上を歩き回り、お辞儀をし、ビックリして飛び退いたり、小馬鹿にしたように体を震わせたりして、本当に人形師のように障子を動かせるようになっていった。
かなりの驚きだった。
本番では観客からは見えないにもかかわらず、表情も動きも完璧に芝居に入り込んだ感じで障子を操作していた。
やはり役者なのである。
舞台美術はどんどん完成に近づき、稽古も進んできたところで、また新たな仕事を言い渡された。
「ストロボのシーンで、舞台上に木の葉を撒き散らしたいんだよな」
「わかりました」
さっそく裏の大隈庭園へ行って落葉を集めてくる。
乾燥させた落葉を布で包んで天井に仕込み、舞台袖で紐を引いて振り落とす。
さらに木の中に扇風機(ジェットファンなど借りる余裕はない)を仕込んで風を送り、乾燥させた落葉を上から落として祠から吹き出させた。
そのシーンでは同時に障子も動いていたので、落葉を降らす紐の操作は出演していない役者がすることになった。
こうして、『酔いどれ満月らりぱっぱ』に引き続き、僕はまたしても「新」劇場の公演に劇団員のように関わることになった。
公演が始まり、場面転換に使われていた緞帳代わりの白い布を、出したり引っ込めたりする仕事も任された。
緞帳を回収するのはストロボのシーンだったので、劇研に何着もあったボロボロのジャケットを着て、客前に一瞬であったが出ることができた。
「どうせ見えてるんだから、何か面白い動きでもしながら片付けろ」
との演出命令が下り、途中から自分では能楽師をイメージして動いた。
それだけでもかなり高揚した。
ところが千秋楽の日 ーー
「緞帳を出すところでわざと転んで、舞台のど真ん中で正座して客席にお辞儀してこい」
と陰山さんが悪魔の囁き。
「オレもフォローしてやるから、やっちゃえ」
と久保さんも煽る。
こういうとき体育会系出身としては、先輩の言いつけは絶対であるので「できません」の選択はない。
だが、演出家は怒るんじゃなかろうか......いくら先輩命令とはいえ、生意気にも新人がふざけたなんて......自分が演出家だったら許さん。
もちろん、僕はやった。
久保さんも一緒にお辞儀して、助けてくれた。
客席はかなり湧いた。
大橋さんも面白がってくれて、とくに怒られるようなことはなかった。
そして、これが僕の劇研での記念すべき初舞台(はっきりと舞台上から客席に顔を向けたということ)となったのだった。
舞台に立つのも面白いかも、と少し思い始めた。
公演終了後、「新」劇場は劇研を卒業していった。