大/早稲田攻社「黄色い靴下は似合わない」

大/早稲田攻社「黄色い靴下は似合わない」
1981年4月26日〜29日(4ステージ)
大隈講堂裏仮設劇場
構成・演出/浅井孝一
出演:吉田紀之、渡部聡、新井けさ子、他

個人的演劇記録を書き続けようと思いながら、前回からずいぶんと時間も経ってしまったが、あくまで個人的な記憶の記録なので、だらだらと続ける。

さて、大/早稲田攻社の旗揚げ公演である。
とはいえ、今回は35年も前のことなので、思い出せるかどうか。
大隈講堂裏仮設劇場というのは、もちろんテントのことである。
テントには、いろいろな呼び名があった。
「大隈裏テント」という呼び名が定着したのは、第三舞台がその呼び名で統一してからだったような記憶がある。
当時は、本公演はテント、試演会や新人公演はアトリエ、というように棲み分けができていたように思う。
とにかく公演のずいぶんと前には、おおまかな舞台美術が考えられ、それに合わせてテントを設計して、それをアンサンブルに関係なく劇研員全員で設営していた。
アンサンブルは、言ってみれば劇団と同じことなので、劇研は劇団の寄り合いである。
では、早大劇研の実態とは何であるか、と言えば、このテントこそが、テントの設営、解体こそが、劇研の実態であったのだと思う。
最初は稽古用に舞台部分だけが建てられ、公演が近づくと客席部分を増設するというやり方だったが、後に二度手間になるので、一気に客席部分も設営してしまうようになった。
それによって、本来、大隈裏に部室を構えるサークルの共有スペースであった広場が、劇研が独占することになり、ラテンアメリカ協会などから不満の声もあがったが、なぜか劇研は独占を当然のごとく、大隈裏を好き勝手に使うようになっていった。

『黄色い靴下は似合わない』は、シェイクスピアの『十二夜』を浅井が構成したテキストをもとに稽古をした。
僕は舞台監督をしながら、初めて役があって舞台に立った。
だが、芝居内容に関しては、ほとんど何も記憶していない。
暗転の中、本火をつけた松明を持って現れるシーンがあったのだが、とんでもない消防法違反である。
稽古中、主演と思われていた女子が自信を失い、実家へ引きこもってしまったのを、浅井とふたりで呼び戻しに行ったのを覚えている。
いずれにせよ、誰が主役だったかはまったくもって不明確であった。
その逃亡した女子は、ほぼ長ゼリをいうだけで、あまり本編の登場人物と会話がなかったので、最悪、その役はなしにしよう、とか浅井と話したことを覚えている。
それで成立してしまうようなことだった。
あと記憶にあるのは、とにかく共演者同士でも聞き取れないぐらいの速度でセリフを言うことを要求され、ただただでかい声でセリフを怒鳴っていたということくらいか。
セリフやストーリーに意味などない、ということが、極端に実践されていたわけで、個人的には影響を受けたかもしれない。
いや、そんなことないか。
僕が、セリフやストーリーに意味などない、と考えたのは、まったく別経路からだ。
タイトルにすら意味はなかった。
関わっている全員が、何をやっているのかさえさっぱりわからず、わからないことをやることにだけ意味があったようなものだった。
当然、観客は何もわからなかったと思う。
だが当時は、わからないものにこそ、何か意味を見出そうとするムードがあふれていて、わからないからこそいい、といった考え方もあったように思う。

というわけで旗揚げ公演のわりに、清々しいほど印象も記憶も残っていない。
それでも公演が終了すると、すぐ次の公演のプランを話していたのだから、ある達成感はあったのだろう。
この公演のすぐあと、第三舞台が旗揚げする。
もちろん『朝日のような夕日をつれて』の初演だ。