1904-hymns/booklet

『直感 Intuition』

 

誰かが発したメッセージを理解するためには、3つの段階がある。

(1)フレーム・メッセージを理解する。

(2)外部メッセージを理解する。

(3)内部メッセージを理解する。

これを演劇作品に置き換えると、次のようになる。

(1)「これは演劇作品です。もし可能なら理解してください」というメッセージである。

(2)「演劇作品を理解するには、いくつか解読メカニズムを見つけなければなりません」というメッセージである。

演劇作品の解読メカニズムとは、まず上演作品の言語を理解すること。つまり、日本語で上演されている場合は、日本語の習熟が必要になる。だが、演劇作品であるがゆえに、舞台美術、衣裳、照明、音楽・音響──そして何より俳優の演技を理解することが、日本語の習熟と同等、あるいはそれ以上に重要である。

(3)あとは、各自がその能力を駆使して、その作品を理解すればよろしい。

つまり重要なのは、(2)の外部メッセージの理解なのである。

 

 クロエ「難しい言い方するな」

 オガワ「それほど難しくもないだろ」

 クロエ「おまえの言い方の問題だ。芝居はいろんなとこ見て楽しんでね、ってことだろ」

 オガワ「いや……」

 

理解するというのは、ルールを知ることである。

ルールがわからなければ、どんなに使用されている言語に習熟していても、そこで行われていることを理解することはできない。

一方で、ルールさえ理解してしまえば、男が女を演じることも、外国人を演じることも、抽象舞台であることも──とにかく何でも受け入れることはできるし、理解することもできるし、感情移入することもできる。

となると、演劇もサッカーのようになるべく簡単なルールを設定して、多くの人々が参入しやすいもののほうがいいということになる。

実際に、戯曲は24時間以内の、一つの場所で起こる、筋が一つの物語を扱わねばならないという「三一致の法則」というものも存在した。

ところが、シェイクスピアはすでにそのルールを無視していたし、ローカル・ルールは多数生まれる。

そして、演劇のルールは言語化されていないもののほうが多く、特に俳優が独自に持っている演技をするにあたってのルールを理解することは難しい。

たとえば、今作に出演している中山祐一朗のルールを理解することは、そう簡単にはできない。

 

 クロエ「ほら、まただ」

 オガワ「何?」

 クロエ「なんで、わざわざ難しく言うんだ?祐一朗は変なことを考えてるから面白い──でいいだろ」

 オガワ「でも……」

 

いずれにしろ、演劇の各作品のルールを理解することは難しい。

となると、観客が「内部メッセージ」を本当の意味で理解することなど、到底不可能なのかもしれない。

いやそれどころか、実際舞台に立っている人間にすら、それはできていないのかも……

 

アツヒロ「オレ、スズカツさんが何考えてるか、『直感』でわかるんですよね!」

スズカツ「……」

 

そういうことなのである。

ちょっと涙出そうになった。

 

鈴木勝秀(suzukatz.)