フォースタス/ごあいさつ

『地獄に堕ちてディープキス!』

僕は基本的によく眠る。しかも布団に入ったら、数分以内には眠りに落ちている。不眠症になったことはほぼない。そして眠ることはとても幸せだ。死という状態を、眠ったまま二度と起きてこないことと定義するのであれば、僕にとって死は恐ろしくもないし、却って幸せな状態であるのかもしれない。だが、どうもそう簡単には死なせてくれないらしい。

フォースタスは、聖書に矛盾する二つの教えがあることを発見した。
『罪の支払う価は死なり』
『人、もし罪なしと言わば、みずからを欺き、その人に真実(まこと)なし』
つまり、人間は万人が罪人であり、その代償として必ず死ななければならない、と聖書には書かれているわけである。さらに、罪人がことごとく地獄へ堕ちなければならないのであれば、人間はみな地獄へ堕ちることになる。

フォースタスは、どうせ地獄に堕ちるなら、悪魔に魂と肉体を譲り渡すことを条件に、この世のあらゆる権力、富、名誉、快楽を手にしようと決意し、それを実行した。しかし契約期間の24年が経過し、最期のときが迫ってくると、彼は未だに少しも満たされていないことに、虚しさを感じる。なぜフォースタスは虚しさを感じたのか?それは結局、彼は孤独で、彼には人生を共有できる人間がいなかったからではないか、と僕は思う。

人間は相対的にしか存在できない。自分を、他人とは違う存在、ということでしか認識できない。それゆえに、自分が生きた時間を共有できる、「他者」の存在が不可欠になるのだ。だが、他人とともに生きることは、あらゆる苦痛の根源だ。親がいるから、兄弟がいるから、恋人がいるから、社会があるから、他民族が存在するから、国家があるから、摩擦や軋轢が生じ、悩みや苦しみが生まれる。しかし、「他者」なしには自分の存在は確認できず、また人生が満たされることもないのだとしたら、この世は地獄だ。
生きても地獄、死んでも地獄。今から、どうやって地獄で暮らすべきか、よくよく学んでおく必要がありそうだ。そして肝要なのは、どうせどちらも地獄なら、それを共有できる「他者」を見つけることである。

「私はあなたを愛したことを後悔しない……きっとまた会える……でもそれまで少しだけ……さようなら」

本日はご来場、誠にありがとうございました。鈴木勝秀(suzukatz.)