<2013年7月26日の質問>

<2013年7月26日の質問>
貴方にとって「音楽」とは、どんな存在、どのような力を持つものでしょうか。
「歌」「音楽家(ミュージシャン、シンガー)」に関してでも結構です。

<返事>
これまでも何度かお話してきたように、「音楽」は僕の演劇活動にとってのガイドラインです。
音楽に導かれて、芝居内容を考えます。
ですからまず、どんな感じの音が鳴っててほしいか、ということが芝居作りの大前提です。
別に新しい曲である必要はなく、自分の中に眠っていた曲なんかが出てくることも多いです。
音のイメージができないと、脚本は書き始めません。
最近だと、iTunesのリストにこれから書こうとする芝居に合いそうだという曲を、思いつくままに入れて、それを流しながらメモを書き、プロットに進め、脚本にしていきます。
その間に、リストに付け加える曲もあるし、削る曲もあり、再生が集中していく曲があります。
『CLOUD』のときなどは、COLD PLAYの『What If』の再生回数がダントツでした。

若いころは、既製の曲のタイトルを、自分の芝居のタイトルに使ってました。
例えば『ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン』(ディープ・パープル)、『JLW』(=Just Like A Woman/ボブ・ディラン)、『ラベルス』(=La Valse/モーリス・ラヴェル)などです。『ユーモレスク』というのもあったな。
それ以外にも、『磨かぬ鏡』というのは、武満徹氏のエッセイのタイトルだし、『スリランカーナ』は、山下洋輔氏のソロ曲『バンスリカーナ』のもじり。『JLW』『C.B.』という頭文字のタイトルは、ムーンライダーズの『アマチュア・アカデミー』の曲名を真似たもの。『ウエアハウス』はハウス・ミュージックから持ってきたもので、ジテキンでやった『ミュート』はもちろん音楽用語のmute=消音です。最初は『カコフォニ』=不協和音ってタイトルにしたかったんですが、プロデューサー的立場だった鈴木裕美に「意味がわからない人が多いんじゃない?」と言われて、『ミュート』にしたんですけど。

僕のやってることのほとんどのことは、自分が聴いてきた音楽、音楽に関する読書から始まっていると言っても過言ではありません。
演劇より音楽に触れてきた時間のほうが圧倒的に長いし、演劇書より音楽の本を多く読んできました。学生時代も、小劇場よりもライブハウスにいくことの方が多かったです。
現在の演出方法に関しては、河合隼雄氏の本から学んだことが中心になっているのですが、そういうスタイルを目指す契機となるのは、山下洋輔氏がエッセイの中で、ジャズ評論家相倉久人氏について語っていたことにあります。曰く、「相倉さんは何もしないでニコニコして見ているだけなのに、われわれの演奏はどんどん変わっていった。われわれは、相倉さんが聴きたいと思っているだろうという音を無意識に選んでいたのだ」(空覚えです)。どうやったら相倉氏のようになれるのか?それを考えて、研究しているうちに、河合隼雄氏の臨床心理学に行き当たったのです。

書き仕事のときは、ずっと音楽を聞いています。
普段はiPodのシャッフルで自分の手持ちのもの、もしくは、Youtubeブライアン・イーノなどのアンビエントからスタートして、関連で出てくる環境音楽をずっと流しています。
ほんの5〜6年前までは、本屋とCD屋に寄るのが日課のようでしたが、最近はほとんどネットで用が足りてしまいます。

僕にとってというより、人間にとって、いや、宇宙にとって、テンポとリズムとハーモニーがものすごく重要で、「音楽」はそれをわかりやすくしてくれるものではないかな、と思ってます。
真理に近づくためのツールというか。
「音楽」とはどんな存在か、というご質問にお答えするには、とてつもなく長時間を要してしまいそうです。
というか、論文を書け、みたいなことですよね。
なので、最初からあんまり飛ばすと、また後が続かなくなるので、今回はこのへんで終了!いたします。
「歌」「音楽家」については、またいずれ。
具体的な名前を挙げていただけたほうが、答えやすいです。

鈴木勝秀(suzukatz.)