「ただ日常を生きる」
僕の大好きなもの、面白いと感じるものには、必ず大嫌いだと感じる人、つまらないと感じる人がいる。
「good」の裏には、必ず「bad」がある。
「A Few Good Men」がいるということは、「So Many Bad Guys」が必ずいる。
だが、そんなことは誰でも知ってる。
厄介なのは、「good」も「bad」も、それぞれの立場でたやすく逆転するということだ。
インテリスタの僕はこんなにインテルを愛しているのに、ユヴェンティーノはいつもインテルを悪く言う。
インテリスタもユヴェンティーノも、同じようにカルチョを愛しているのに。
「この世に存在するあらゆるものは、何かの全体であり何かの一部である。」
アーサー・ケストラーは『ホロン革命』で、そう宣言した。
分かり切ったことだが、なにごとも多面的なのである。
アイデンティティなどというようなものは元からありはせず、すべてのものは相対的にしか存在できない。
敵がいるから味方がいる。
そういうこと。
そして敵も味方も、同じように平和を求めている。
毎朝ニュースを見ていると、世界中のどこかで必ず、人と人が殺し合っている。
歴史をながめると、太古の昔からどの時代でも戦争が行われている。
その点において、人間は決して成熟などしない。
どれほどコミュニケーションツールを手に入れても、何千年も前から続く争いは今も終わらない。
何度でも言うが、人間は成熟しないのだ。
そのことに絶望するか?
それともその絶望を知った上でも、虚しい希望を信じて生きるか?
今のところ僕は、絶望を知った上でも「ただ日常を生きる」ことができないか、ということ考えている。
そして、今回の稽古を見ながら、やはりそれ ー「ただ日常を生きる」ー は頭を離れない。
鈴木勝秀(suzukatz.)