<2013年9月28日の質問> *今まで他者の執筆した戯曲を「比較的原作に忠実な形で」何作か演出していますが、最もsuzukatzワールドにシンクロしたものはどれでしょうか。理由含めお聞かせください。

<2013年9月28日の質問>
*今まで他者の執筆した戯曲を「比較的原作に忠実な形で」何作か演出していますが、最もsuzukatzワールドにシンクロしたものはどれでしょうか。理由含めお聞かせください。

<おこたえ>
「比較的原作に忠実な形で」ですね。
まず「比較的原作に忠実な形で」演出した作品を、いくつか思い浮かべてみます。
『女中たち』『授業』『ベント』『偶然の男』『ディファイルド』『ドレッサー』『胎内』『トーチソング・トリロジー』『フロスト/ニクソン』『クローサー』……
この中で、『女中たち』『授業』『ベント』の3作品は、セリフはそれほど変更していないのですが、ラストシーンの解釈がかなり議論を呼ぶことになると思うので、ここで語るのは避けます。
ちなみに、このブログ内で『女中たち』『授業』の初演については書いたことがあるので、検索すれば出てきます。
というわけで、あとの作品から3本ほどピックアップして考えてみます。

●『偶然の男』(長塚京三キムラ緑子
作:ヤスミナ・レザ/訳:小田島恒志/演出:鈴木勝秀
2004年、8月:スフィア・メックス

この作品は、誰が演出しても、その人の色や世界観を出しやすい作品だと思います。
なぜならト書きが一切ないので。
つまり、どのように解釈してやってもOKだと僕は判断しました。
そのかわり、ト書きが全然ないので、相当考えないと、どういう風にやればいいのか見当もつかない。
しかも、セリフだけ読み終わっても、終わった感がまるでないので、この戯曲に何が書かれているかもわかりにくい。
実際、最初にプロデューサーからこの戯曲を持ち込まれたとき、「どうすればいいのか、まったく見当がつかないんですが、どうにかなりますか?」と言われたことを覚えてます。
セリフを読むと、どうやら長距離列車に乗り合わせた男と女の心の声が、交互にモノローグで語られていることがわかります。
実際に会話になるのは、ラスト数分だけ。
戯曲の状況に忠実にやろうとすると、向かい合わせの席で、二人はずっとすわったままモノローグをしゃべり続けるという、退屈極まりないものになってしまう。
それならリーディング公演にしたほうがいい。
キャスト二人にとって、セリフを覚えるのはかなりの負担ですから。
とにかく、僕は立体的になるようにしたいと考えました。
そこで、ふと、列車のコンパートメントにすわってるのは、象徴的に人形でいいんじゃないかな、と思いついたのです。
そうすれば俳優は自由に動き回ることができるし、表情も声も表現したいだけ使うことができる。
あとは、自分好みの抽象舞台を作って、音響照明を駆使して......とても満足できる作品に仕上がりました。
また、やってみたい作品のひとつです。

●『ディファイルド』(大沢たかお長塚京三
作:リー・カルチェイム/訳:小田島恒志/演出:鈴木勝秀
2004年、11月〜12月:シアターコクーン+大阪ドラマシティ

ディファイルド』は、僕が手がける前に同じキャストで上演されたことがある作品です。
ですが、初演では演出をするはずだった相米慎二氏が病に倒れ、演出家不在で上演されました。
あるとき、大沢たかおくんに一緒に組んで何かやろうと言われて、僕は『ディファイルド』の再演を提案しました。
初演は拝見してなかったのですが、戯曲を読ませていただく機会があって、ぜひ僕の手で同じキャストでやらせていただきたい、と思っていたのでした。
つまり、『ディファイルド』に関しては戯曲ありきです。
二人芝居は僕の最も好きな形式です。
内容は、簡単に示すと以下のようなものです。
図書館カードのオンライン化に反対して図書館に立てこもった若者と、事件解決に向けて説得にきた中年刑事によるダイアローグ。
最終的には最悪の結末を迎えるのですが、二人の心が触れ合ったり離れたりする展開は、僕の好きなハードボイルドスタイルなのです。
しかも、この2000年にアメリカで初演された作品は、翌年の9・11を経てさらに意味が深まった。
異文化の対立、異民族の対立......とにかく"異"を意識させる作品で、それも僕にフィットしました。
また、シアターコクーンという空間でやれたことで、図書館の広さが表現できたし、あの空間で二人芝居は可能だと思えたことも大きな収穫でした。
またここからリー・カルチェイムとも共同作業ができるようになって、『セミナー』『ビリーバー』とやれました。
日本人の劇作家と組んでやったことないのに、カルチェイムとはやってるというのも不思議ですが。

●『胎内』(長塚圭史奥菜恵伊達暁
作:三好十郎/演出:鈴木勝秀
2006年、10月:青山円形劇場

長塚圭史が、「スズカツさんが得意な翻訳物ではなくて、日本の戯曲を一緒にやってほしい」というので、当時住んでいた目黒川沿いの図書館に何日か通って、日本の戯曲をかなり読んだ上で「これだ!」と思ったのが『胎内』だったわけです。
だから、当然、僕の世界観にフィットしていました。
内容、テーマはもとより、三好十郎の言葉の選び方やリズムもとても好きです。
舞台美術、照明、音響などのスタッフワークもかなり思い通りにできたし、キャストともいい関係で稽古できたので、ある意味理想的な劇作環境であったという記憶があります。
その後圭史くんが、三好十郎の作品を継続して上演していますが、好きな劇作家であることは間違いありません。
ただ、僕が『胎内』以降三好作品を手がけていないのは、どこかで三好十郎は絶望してない、と感じているからかもしれません。
ああ、すごく誤解を生む発言かもしれませんね。
いつか、そのへんのこともちゃんと考えたいです。

映画原作や小説を舞台化したもの、例えば『レインマン』『異人たちとの夏』『ノー・マンズ・ランド』『ドリアン・グレイの肖像』などは、僕としてはかなり自分に近い世界観であるとは思いますが、かなり僕自身が書いた部分が多いので、また別の機会に。